2003年07月05日

恒見・吉志方面を中心にまわる

曇り空だが、たまに日が差したりで、あまり安定しない。一応折り畳み傘を持って外出。携帯版@門司の項目が少なかった恒見や吉志を中心に歩くことにする。が、その前に家の近所である東源寺池があったとされる場所を撮影。今はすっかり住宅地だが、昔は池があり、猿回しの主人を池の中に引き込んだ河童に猿が敵討ちしたという伝説が残っている。
戸ノ上中学校前のバス停から恒見営業所行きのバスに乗ったが、そのバスは浦中や井の浦を経由するものだった。この路線のバスには初めて乗った。この辺りはセメント会社の工場が多く、山が大きく削られている。恒見営業所で下車し、そのまま吉志方向へ歩いていくが、急に雨が降り始めた。持ってきた傘をさしたものの、風上の曽根方向から濃い灰色の雲が向かってきており、雨も少しずつ強くなりだす。これじゃ撮影には向かないなぁ、と思いながら笠松の碑のある場所を探す。付近の病院や不動院の方向を探すが見つからず、田畑の中の狭い道を歩き続けると、民家の向こうに小さな松の林があり、そこに2本の石碑が建っていた。
笠松の碑
向かって右側の方に碑文があり、どうやらこれが笠松の碑らしい。雨も少し小降りになったので、数枚撮影する。
次に吉志天疫神社の方面へ向かう。ここも立派な神社だなぁ。地元では「吉志の二十六夜」という春の大祭が有名で、「花傘鉾」が先程の笠松まで行き、神事をおこなうということだ。神社を過ぎ、しばらく行くと丘の上に大きな造成地があり、その下に小さな墓地がある。その墓地の一番高い場所に吉志門司氏の墓が2基あった。傍らにある石造りの説明文には五輪山が造成されたため、この場所に移動したとある。墓石の古さと周りを固めたコンクリートの白い色が対照的で、なんだか似つかわしくない。一応撮影するが、どういう形であれ、残せば良いというものでもないと思うんだが・・・。
吉志門司氏の墓
いつの間にか雨が上がり、そのまま九州自動車道の下まで行き、突き当たったところから左に曲がる。しばらく直進して、ガード下を抜けると、吉志PAへ上る道があり、そこを上っていくと、PAの従業員用の通用門がある。まわりを見回すと、PAの建物の横に庭木で囲まれた石碑の頭が見えた。門を開けて中へ入り(不法侵入かな?)、近づいてみると、思った通り「寒竹城址」の碑であった。そこから中には入れそうになかったので、デジカメを持った手をいっぱいに伸ばして碑を撮影。しかしなぁ、これじゃ誰も見学出来ないぞ。
寒竹城址
門から出て、道を下り、もっと山側へと歩いていく。時々日が照りだし、かなり湿気を感じて汗が急に出始めた。道の奥に池と墓地があり、その途中に森戸一族の墓があるということだったが、これは見つからなかった。
元に来た道を戻り、恒見の町へ。恒見八幡神社の脇を通り、海の方へ向かう。町中を通り「魚族供養之塔」と猿山(多分そうだと思われる)を撮影。
魚族供養之塔
近くのバーから漏れてくるカラオケの声が聞こえてくる。それにしても静かだなぁ。足裏の痛みが少しずつ大きくなっている。大量に汗をかいて、体力もかなり消耗しているのを感じながら、水分補給のためダイエットコークのミニ缶を飲んで、二十田まで歩き、そこから畑の方向へ曲がる。次は堀田の地蔵尊を探す。が、見当をつけた場所には、それらしきところが無く、田畑の中の細い道を脳食い虫(丁度に人間の頭辺りの高さで群れて飛んでいる小さな虫のことを、昔からこう呼んでいたが正式名称はなんだろう)を払いながら、探しまわること1時間少し。結局わからなかった。いいかげん疲れてきたし、足裏の痛みも大きくなってきたので、畑のバス停に向かい、そこからバスに乗って帰る。(※620LX日記より)
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2003年07月15日

清滝、三角山、旧門司、和布刈方面

今日も快晴。梅雨明けしたのだろうか。午後から門司港近辺のデジカメ撮影に出る。大里東口からバスに乗り、門司区役所前で下車し、そこから歩いて清滝公園の横を抜けて、三角(みすみ)山山頂にあるという毘沙門天を訪ねるため風師山登山道を登っていく。途中に喫茶店すいげつや北野乃しゃつなんかの店や高浜虚子の歌碑などがある。すいげつには一度来たことがあるが、ここからの景色は大変によく、コーヒーを飲みながら関門海峡を眺めるなんて、ほんとうに贅沢だ。なかなかたどり着かないなぁなんて思いながらどんどん登っていくと、鳥居が見えてきた。近づくと「豊川稲荷・中原観音もみじ谷参道」という石標が建っている。どうやら行き過ぎたらしい(^^;)。
もみじ谷参道
せっかくなのでお参りしていこうと思い、鳥居をくぐり谷を下る。ここの辺りは猪が出るらしい。小さな広場のような場所にまだ新しい観音堂があり、観音像がガラス越しに見える。傍らには双眼鏡を片手に持つ「中原国友翁之像」があるが、この人は誰だろう。この辺りも中原邸の一角ということらしいが。観音堂の上に豊川稲荷神社があり、おばさん達が掃除をしていた。
登山道へ戻り、今度は注意深くまわりを見ながら下っていく。上清滝公園の近くで大きく道を曲がる場所の脇の草むらの中に「奉納」と彫られた石の柱が2本見え、その先が少し高い山になっている。さらに向こう側に登り道が見えたので、多分これが三角山だろう。薄暗く急な登り道を登っていく。かなり急で所々ロープが張っており、登りはよいが下りはこれを掴んでいかないと滑り落ちてしまいそうだなぁ。横須賀の衣笠城址へ登る時もきつかったが(まぁ道を間違えたためだったが)、今回はもっときつかった。完全に息があがってしまった。それでも休み休み上がっていくと、小さな石室が数個並んだ場所に出た。石室の中には「八大云々」と彫られた石の位牌のようなものがあるが、八大竜王だろうか。息を整えてから、もう少し登って山頂に出ると大きな放送塔があり、傍らにコンクリート造りの祠がある。多分これが毘沙門天を祭っているところであろう。蚊に刺されながらの撮影。やはり夏の山中はこれだから嫌だ。スキンガードでも持ってくればよかったかもと思いながらも、これだけ汗をかいてるから薬も流れるかなぁ。付近には僧の石像が2体、不動明王像1体と、やはり八竜大王であろうか、蛇がとぐろを巻いたような石像があった。祠の鉄扉には鍵をかけていないため、開くかなぁと思いながら、閂を留めてあった針金をはずすと開いた。中を見ると、毘沙門天像は無く、「三角山○○○(○部分は読めなかった)」と書かれた位牌?とその後ろに「×本尊×××(×部分は隠れて見えなかった)」と書かれた大きな木の看板状の板があった。所々字が部分的に見えるところから推測すると後半部分は「毘沙門天」と書かれているようである。本尊は多分どこかに保管されてるんだろうなぁ。お賽銭を入れてお参りしてから内部を撮影する。
三角山毘沙門天
扉を閉めてから、今度はロープに掴まりながら下りる。ロープが無いと下りれないなぁ。
清滝公園まで下り、清滝貴布祢神社を撮影した後、山城屋跡(かなり解体が進んでいるようだ)の横を通り門司文化センターの洗面所に入って顔を洗い、しばし休憩。
甲宗八幡神社へ向かい、神功皇后の船を繋いだとされる三鋼石や記念碑などを撮影した後、旧門司の住宅地をまわる。改訂前の「北九州の史跡探訪」に「宗童」という小さな祠の写真が載っていて、これがどんな由来のものかは書かれていなかったが、一応見ておこうと思い付近をうろうろ探していると、個人宅の玄関横にそれらしきものがあった。分限者になった「宗童さん」という門司の民話があり、住んでいたのが旧門司だったそうなので、なにか関係があるのかもしれない。
宗童さん
その後ノーフォーク広場の隅にある戎と猿猴河童塚、巡視船基地を撮影し本日の予定は終了。筑紫野市周辺の詳しい地図を持っていなかったので、栄町の宗文堂で福岡近郊の地図を購入し、桟橋通りからバスに乗って帰る。(※620LX日記より)
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2003年07月17日

羽山、上藤松、大久保、「甘泉」

今日は曇りではあったが、雨の心配はなさそうだったので、午後からハローワーク門司に行く。ハローワークには人が少なかったが、求人票のファイルを見ていた私に、隣に座っていたおばあちゃんが話し掛けてきた。話を総合すると(おばあちゃんの話は長いし、どんどん話題が飛んでいくので(^^;))、どうも息子さんの付き添いで新下関から初めて門司まで来たそうで、ついでなので門司港に行ってみたいがどう行けばよいか、ということだった。ここに近いバス停の場所と、門司港から唐戸行きの船に乗って帰るということだったので、連絡船の出港時間や所要時間を教えてあげる。何度も死にかけたこととか血圧が時々高くなるとか両膝が痛くて大変だとか言語障害があったが最近やっと治ったとか、長い長い長〜いおばあちゃんの話に付き合うはめになってしまった。息子さんが用を済ませてこちらに来たので話は終わったが、そこからまた5分くらいひとりでしゃべってから外に出ていった。結局20分くらいお付き合いしたことになったが、私にしゃべったことでおばあちゃんのストレスが発散されたんなら、まぁいいかぁ(^^;)。再度ファイルを閲覧して5分で(^^;)建物を出た。ここからは撮影のための行動に切り替える。
風師登山道を羽山神社に向かって歩いていき、小森江西小学校を過ぎると鳥居が見えた。そこから続く階段を上っていくと、羽山神社の比較的小さ目の社殿があった。
羽山神社
神戸製鋼所が近いこともあり、社殿とは別個に神鋼守護神が祭られている。鳥居はまだ新しく、銅色で光っている。お参りして誰もいない境内を撮影。歩いて門司駅前まで行く途中、金山堂のあった建物の前を通りかかると、どうやら会社が入っているのが分かった。最初パチンコ台が並んでいるのかと思ったが、なんだか小型の機械を組み立てる工場のようだ。岡野バルブ製造の社屋を撮影してから、上藤松にある馬頭観音を撮影するために柳町2丁目バス停から桃山町経由のバスに乗り、藤松2丁目で下りる。そこから都市高速の下をくぐって、住宅地の中を山に向かってどんどん歩いていったが、先日の三角山を上るのに近いくらい道が急で往生する。しかしよくこんなところに住んでるなぁ。車がないとこりゃ大変だわ。見当をつけていた場所まで来るが観音のある祠は見当たらない。近所をくまなく歩き、雑木林の中にまで入って探したが見つからない。あんまりウロウロしていると近所の人に怪しまれるので、少し範囲を広げて歩いてみたが、やはり見つからないので退散する。急な坂道を下って大里高校のグラウンド側に出る。母校のグラウンドではラグビー部が練習している。門司商業との合併が予定されているが、いつだったろうか。藤松2丁目バス停からバスに乗り、大久保で下車し、バス停のすぐ下にある「柳城郎党之墓」を撮影する。五輪墓が3基と猿田彦大神の石塚があるが、墓石自体は表面の侵食がそれほどではないので、そんなに昔のものではないように見える。
柳城郎党之墓
城山霊園の方向へと歩いていく。舗装した道路が途切れた所から少し坂道になったところで、右下の方向に金属の扉で閉じられたレンガ造りの構造物が見えた。大久保水源池は、もともと大日本製糖大里工場の工業用水確保のために作られた池で、当時の大日本製糖社長の藤山雷太の手になる「甘泉」と彫られた送水トンネル口があるという話は知っていたが、この場所にあるとは思っていなかったので、ちょっと嬉しい。かなり薄暗い場所で、フラッシュを焚くと文字がつぶれてしまうので、フラッシュは焚かずに、手ぶれに注意しながら数枚撮影する。
「甘泉」
そのあと水源池のまわりを歩いてから(小中学生が数人と私と同年代の男性が釣りをしていたが、あまり釣れていないようだった)、再びバス通りに出て帰路につく。
帰り道で溝の中を這う蛇を発見。久々だなぁ、蛇を見るのは。 かなり体が小さいが、シマヘビだろうか?(※620LX日記より)
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2003年07月26日

喜多久、蕪島、柄杓田

午後から、予定してから雨で毎週ずーっと延期になっていた蕪島の撮影に出かける。
JRで門司港まで行き(海峡ドラマシップ側の出入口が新設されてますね)、42番のバスに乗って終点の喜多久で下車する。田んぼの強い緑色がまぶしい。そこから砕石現場の中を通って海岸沿いを15分程度進んでいくと、こんもり盛り上がった島の姿が見えた。
蕪島
島は砂地から地続きになっていて、近づくと層状になったの岩肌が見える。島の西側には海水の侵食で出来た直径5m位の大きな穴が貫通していて、島の反対側の海が見える。この穴については、津村島の美しい女神を神島(こうのしま)の男神と蕪島の男神が争い、弓の名手であった神島の神が放った矢が蕪島を突き抜けて出来たという伝説が残っている。その他貫通はしていないが2〜3m程度の穴がいくつもあり、水が溜まっている。第2次大戦末期に陸軍だか海軍だかの特殊艇(神風特攻や回天と同じように、爆薬を積んで体当たりし敵艦船を沈める小型船もの)をその穴に隠していたらしい。ゴジラの背中のようなゴツゴツした岩をつたって島を回り撮影する。岩にフジツボがくっついている。満潮時はここまで海面が上がってくるのだろう。しかし、穴の中も島に来る途中の海岸もゴミだらけで、ペットボトルや缶、弁当の空き箱なんかが落ちている。今日も岩場で釣りする人が3人いたが、ここには釣り客くらいしか来ないので、多分釣り人達が捨てていったのだろう。。全ての釣り客がそういうわけではないし、全部のゴミが釣り客が捨てたものとは限らないだろうが、最低限のマナーは守って欲しいよなぁ。
再度砕石場を通り、柄杓田への道を歩いていく。日差しは強く、大量の汗はかいているが、空気は乾燥していて過ごしやすい。もじ少年自然の家の前にある喜多久海岸には、小さな子供を連れた家族が数組み、砂の海岸や海の中で遊んでいた。しばらく歩くと多くの漁船が繋がれている柄杓田の港に出た。
柄杓田港
6人くらいの若い男女が港の外の海で泳いでいる。小高い場所にある天疫神社を撮影した後、柄杓田分道まで歩く。このあたりで足裏も痛くなり、かなりヘトヘトになってきた。分道近くには伊川へ抜けるトンネルが2本(石塚トンネルと新石塚トンネル)あり、上下線が別々になっているが、その2本のトンネル口の間にガソリンスタンドがある。昔から変だなぁとか思っていたので、ここも撮影する。
柄杓田分道
伊川の方へ歩いていき、咳地蔵尊を探したが、事前に調べておいた場所にはまだ新しい家が建っていて、結局わからなかった。そのまま九州自動車道沿いの道を猿喰まで歩く。予定では猿喰近辺の史跡を数件訪ねるつもりだったが、デイリーストアでひと休みしても疲れが回復しないので、時間的には早いが撮影を切りあげることにした。畑まで歩いて、そこからバスに乗り帰る。(※620LX日記より)
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2003年07月30日

伊川、猿喰、新門司マリーナ

曇りながらも雨が降る気配はなし。ということで、土曜日の続きの撮影に出かける。平原までバスで移動。先日撮影した平山釈迦堂の隣にある貴船神社には安徳天皇、二位ノ尼、平宗盛の三体の木像が安置されていることを後で知り、可能性は低いがもし見れたら見たいなぁと思い行ってみた。結局やっぱり見れませんでした。あっさりあきらめた後、伊川の天疫神社を撮影。
伊川の天疫神社
以前来た時に「天疫神社」と「貴船神社」の2つの篇額がかかっていて、ほんとは何なんだと思っていましたが、天疫神社に貴船神社を合祀したものだとわかった。次に土曜日場所がわからなかった咳地蔵尊を探す。前回来た時には気付かなかったが、墓地の横にコンクリート造りの祠がかすかに見えた。墓地の横を通り近づくと、やはり目的の咳地蔵尊だった。
咳地蔵尊
ここは百日咳を治すのによく効くとされ、参拝者も多いらしい。お参りした後、撮影中に左腕に蚊が止まったので、右手でジャストミート!!で叩いたのだが、その蚊は死なずに飛んでいってしまった。地蔵様の前での殺生はいけないということだろう。県道25号線に出て、猿喰方面へ向かい、道路脇にある通称サヤ様と呼ばれる祠を撮影する。ここはサヤ峠の佐夜神と同様の塞神である。しかし、やたらに蚊が多い。夏なのでしかたないが・・・。猿喰まで進み、門司北高校近くの明神様とも呼ばれている厳島神社を撮影。ここも裸島にある厳島神社同様、石原宗祐が建てたものらしい。それから汐ぬき穴へ行くと、雑草が生い茂っているため、真上から見ると穴は確認できるが、海側から見るとほとんど見えなくなっている。冬に撮影しといてよかった。臨港道路へ出て、新門司マリーナへ向かう。この辺りは大きな埋め立て地だが、ほとんど何にも建っていない。広いがほとんど車の通らない道を進んでいくと、ナイター施設のあるテニスコート場(だと思う)があり、その先に新門司マリーナがあった。門が閉まっているので中には入れないが、横に堤防が突き出しており、そこからマリーナ全体を見渡すことができる。多くのヨットやクルーザーが泊まっているが、平日のためか人は少ない。30分ほどいたが、マリーナを出入りした船は2艘だった。堤防には釣り客や散歩する人が10人程度。ここからは遠くに蕪島や柄杓田の家並が見える。
新門司マリーナ
撮影終了後、もと来た道を阪急フェリー乗り場へと歩き、津村島を撮影する。地続きになった島まで行きたかったが、時間がないのとそろそろ疲れてきたので、遠距離からの撮影のみとなった。新門司大橋でも島の全景を撮ろうとしたが、接岸しているフェリーに邪魔されて部分的にみえない。しかたないので、ここで撮影終了。今津の街を通り抜けて畑まで歩き、そこからバスに乗って帰る。
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2003年08月06日

東明寺山、庄司町、錦町

夏らしいとはいえ、こんなに蒸し暑いのはかなわないっすね。そんな中、午後からデジカメを持って外出。郵便局に寄った後、ハローワーク門司へ。当月分の求人票を見るが、就業場所が福岡地区のもので、目新しいものは無し。20分程で退出し、バスで東門司1丁目まで行く。今回の撮影のメインは城があったという東明寺山の山頂で、現在は竜門町林間公園になっている。門司中央小学校側から狭い路地を通り抜け、公園入り口に着いたが、こりゃまぁ、入り口は雑草が茂り、全然整備されてないというか、忘れ去られたような印象だ。
竜門町林間公園
階段には黒い野良犬が昼寝をしているところをみても、あまり人は来ていないようだ。「まむしが出るので注意」(ぞ〜ぉ)という看板を横目で見ながら、階段状の登り道を上がっていくが、落葉は多いし、ぬかるんでいるところも多くて歩きにくい。しかもこの暑さで早々にバテてします。汗も大量にかいたが、それでも山頂まで登れそうな道を探しながら右往左往しているうちに、結構あっけなく山頂に着いた。まぁ、標高110mなので、こんなもんでしょう。しかし何も無いなぁ(^^;)。絶え間なく蚊が襲ってくるのを手で払いながら数枚撮影。結局1匹の蚊にも刺されず、早々に下山することにしたが、今度は下りる道が分からなくなってしまっている。またも右往左往しながら、道では無いところを滑りそうになりながら下りていき、どうにか登ってきた道が見つかった。これでかなり体力が消耗。一旦老松公園まで行き、木陰のベンチで休憩する。散水車が公園の花壇に水を撒いている。向こう側の木陰には将棋か囲碁をしているのであろうか、年配の男性が6,7人がひとつのベンチを囲んでいる。体力が回復してきたので、今度は大雄寺側から東明寺山へアクセスしようと試みる。住宅街の中の急な坂道を登っていると、旧庄司小学校の校舎が見えた。
門司アート村
ここには門司アート村(数人の芸術家がアトリエとして使用している)や、としょかん文庫やさん(日本初の文庫本専用の図書館)が廃校になった校舎に入居している。時間があれば中にはいるのだが今回は止めた。大雄寺の近くにお堂があり、赤い前掛けをした地蔵さんが見えたので、ちょっと参拝する。
坂をどんどん登っていくと、登りきったところに大師寺がある。これから下ると、長谷のテニスコートの辺りまで行くらしい。東明寺山へ登るには、どうも途中にあった石の長い階段を登っていくようだ。しかし登っていく体力は無く、気力も欠けてきたので、ここで止めることにする。来た道を戻り、錦町方面へ行く。ここには戦前に建てられた家が多く残っていて、今建てると多分法律にひっかかるような3階建ての木造の家も多い。それらの家や総2階の町家様式の銭湯「梅の湯」や創業約70年といわれる「傘の修理大学病院」などを撮影する。「傘の修理大学病院」は「アド街ック天国」でも紹介されましたが、まだ営業してるのかなぁ。
傘の修理大学病院
ここで撮影は終了し、栄町まで行き、佐藤書店と金山堂書店に寄って立ち読み。帰りがけに見ると、山城屋の解体もだいぶ進んだようだ。九州鉄道記念館は明後日オープンを待つばかりという雰囲気で、すでに看板や外から見える機関車などを眺めている人も見掛ける。バスに乗って帰るが、汗をだらだら流しながしている姿を見て、バスの他の客はなんて思うかなぁ。(※620LX日記より)
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2003年08月09日

九州鉄道記念館オープン、中原観音寺、春日町、八木田

朝から大雨が降っていたので外出するつもりはなかったのですが、14時頃に雨が上がり、日も照り出したので、残り少ない撮影日数のことを考え、16時頃からデジカメ撮影に出た。大里東口からバスに乗って門司港に向かうと、本日オープンの九州鉄道記念館の臨時駐車場案内や、街のいたる所に13日の海峡花火大会の看板が立っている。しばらくの間、門司港は賑やかだが騒がしい街になる。東門司1丁目でバスを下り、畑田方面へ歩いていく。県営アパートの裏側の道を進むと、小さな社があり、扁額には「八坂神社」と書いている。これは本に載ってない神社だなぁと思いながら撮影。もう少し上に登っていくと、一般の家の前に狛犬があり、2本の石柱が立っている。
宮地嶽神社跡
ここが昭和20年の空襲によって焼失し廃止された宮地嶽神社の跡のようだ。社殿があったであろうと思う場所には青いビニールシートが掛けられている。大量の蚊に襲われながら(右腕に3匹同時に刺されたりしました・・・病気になりそぅ)、10枚ほど撮影。次は先日行った中原観音のことも携帯版@門司に載せることにしたので、もう一度撮影するため、清滝方面へと歩く。途中鉄道記念館の横を通ったので、外から様子を覗いてみる。
鉄道記念館
17時過ぎていたし、入場門前に人は少なかったですが、ミニ鉄道公園には子供たちが沢山列車の順番待ちをしていて、なんだか微笑ましく思えた。入場門の手前に旧0マイル標があったので撮影する。清滝公園の中から雨に濡れた風師登山道を進み、しばらくすると豊川稲荷の鳥居に着いた。ここからもみじ谷を下って観音様のある場所へ行く。観音様などを撮影後、先程の登山道には戻らず、丸山方面へ出ようと思い、観音堂の横の細い道を下っていく。木々に挟まれた場所をしばらく歩いていくと、ポツポツ民家が見えてくる。小さなコンクリート造りのお堂が見えたので寄ってみると、「菊姫地蔵菩薩」とある。
菊姫地蔵菩薩
場所を確認すると、春日町である・・・? あれ、丸山とは方向が全然違うじゃないの(^^;)。どこで道を間違えたのかなぁ・・・ま、いいか。さらに直進すると高砂町へ出た。ここから八木田前の黒川の貴船神社の近くにあるという薬王寺を撮影しようと思い行ってみると、神社の横にお寺の門の跡らしき石柱があるが、寺の建物がない。傍らに小さな仏様の石像があるのみである。
薬王寺跡?
一応撮影はするものの、もともと寺のあった場所が不確かなので、これが薬王寺のあった場所なのかよくわからない(もっと奥の方かもしれない)。その後、金山口まで行き、金山城があったという大積小学校裏の金山の遠景を撮影する。これで今日の撮影は終了。黒川のバス停まで歩き、スプライトの100円缶を飲んで休みながらバスを待つ。10分程でバスが来て門司港まで乗る。帰りはJRで門司駅まで帰るつもり(バイトから帰ってくる母親を迎えに、門司駅前で父親が車で待っているはずなので、これに便乗して帰る算段である)だったので、バスを下りて急いで列車に乗り込む。門司駅に着くと、予定通り父親の車が見えた。無事合流。(※620LX日記より)
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2003年08月10日

巌観音、白野江、門司港レトロ展望室と謝辞

今日は朝から天気がよかったので、以前から行きたいと思っていた黒川の巌観音と白野江の地蔵の森の五輪の塔を撮影するため、昼食後に外出した。大里東口からバスに乗り、桟橋通りで乗り換えて高砂町まで行く。今回は山の中に入っていくのが分かっていたので、ムヒの虫除けスプレーを自宅から持ってきたので、両手両腕と首筋に吹きつけた。巌観音に行くには砕石所の中を通っていかなければならないらしく、その入り口を見つけて砕石所へ入る。門司は砕石所が多く、鹿喰峠や新門司の海岸等いたるところにある。風景を壊しているという気にもなるが、これも門司の大きな産業のひとつなので仕方がない。事務所の前を過ぎ、小川の流れに沿って奥に進む。それまでjornada548で音楽を聴きながら歩いていたのだが、うつくしい清流の音を聞かないのは無粋だと思い、ヘッドフォンを外した。10分くらいで巌観音の入り口に着いた。
巌観音入口
木々に囲まれた参道は涼しく、清正公堂のあるお滝と雰囲気が似ている。小さな小屋がいくつかあり、一番高い場所にあるのが観音堂であるらしい。その入り口まで進むと、管理人であるという老年の男性が現れたので、中に入ってよいかを尋ねたところ、「どうぞ」と言われたので靴を脱いであがると、御本尊の十一面観音像が安置されていた。お参りをした後、管理人さんとその後に来た女性の関係者の方に観音様を撮影してもよいかを尋ねたところ、秘仏ではないので問題無いと思うとの返事をいただいたので、お堂の中を数枚撮影した。
巌観音寺内
外へ出ようとしたところに、ここの主であるといわれる老年の女性が上がってきて、何故ここを撮影するのかを尋ねられた。持っていた本「北九州を歩く」を見せながら、ここが紹介されていたので来てみたと答えると、"主"である方はこの本のことは御存じなかったようだが、納得していただいた。お礼を言ってから参道を下っていく。虫除けスプレーが効いているせいか、一匹の蚊にも刺されていなかった。
再度砕石所を抜けてバス通りに出て、八木田前まで歩き、そこからバスに乗って白野江郵便局前まで行く。そこから田野浦へと抜ける道を歩いていく。15分程度歩いたところに「日露戦役紀念碑」があり、そこから5分ほど先へ進んだところに地蔵の森の五輪の塔があった。
地蔵の森の五輪の塔
ここには白野江のサトザクラにもあった金属製の説明板があり、壇の浦で敗れた平家の落人の墓と伝えられており、墓や小石に触れると腹が痛くなるという話が伝わっていることが書かれていた。背の高いものや低いものなど、様々な種類の五輪塔があり、地蔵様の姿が彫られたものもある。10数枚撮影する。郵便局前のバス停に戻ると、門司港行きのバスの発車まで30分以上ある。ということで、植物公園まで歩くことにした。白野江2丁目のバス停に着いたが、まだ15分以上時間がある。野江谷公園の証文石に寄った後、白野江団地側に歩いていくと、公園の向こうに海が見えた。海岸近くまでいくと向こうの方に蕪島が見えた。ここからだと例の大穴をまっすぐ見ることが出来る。ここでも撮影。白野江2丁目バス停に戻り、門司港行きバスに乗る。
門司港駅前に戻ると、まだ17時を少し過ぎたところで、レトロ展望台の招待券を父親からもらっていたので、天気もよいし、展望室まで上がってみることにした。上りのエレベータには私一人しかいなかったが、展望室には多くのお客がいて、子供は走り回っている(^^;)。ここに上るのも最後かなぁとか思いながら、思い出の多い門司の町を眺める。山城屋の工事現場も見え、ショベルカー3台で上から壊しているのが分かった。パゴダも屋根の屋根を工事しているらしい。夕日がかなり強かったが、門司港の街並みや展望室の様子などを撮影し、15分ほどで地上に下りた。
レトロ展望室からの眺望
門司港駅に行くと、関門連絡船通路跡がきれいになっているのに気付いた。通路跡のちゃんとした画像を持っていなかったので、ここでも撮影。携帯版@門司に載せている画像を今日の分にを差し替えようかなぁ。列車で小森江駅まで戻り、歩いて家まで帰る。
門司にいる日も残り少なくなったため、デジカメ撮影がどうしても日程的に無理な所がある。特に、すでにアップしている巌流島と「大里のバカ力」は画像無しの状態だったので、なんとか画像を載せたいと思い、以前相互リンク先のけーばらさんのところで、風師山頂から巌流島の全景を写した写真が掲載されていたことを思い出し、けーばらさんにメールで画像を使わせていただけないかをお願いしてみた。すると返事がすぐに承諾の返事をいただいた。合わせて「大里のバカ力」の写真についても持っていらっしゃらないかを尋ねていたが、けーばらさんの友人であるKazuoさんなら、必ず持っているはずという返事をいただいたので、Kazuoさんにもメールで画像の提供をお願いしてみた。すると、こちらも快い返事をいただき、画像を1枚提供していただいた(今年の「大里のバカ力」は、例年の会場である門司駅駐車場が工事中であるため、スーパー丸和新館の駐車場でやるという情報も合わせていただいた)。早速2枚ともアップロードしたが、携帯版なので小さくしか表示出来ないため、提供していただいた方にはちょっと申し訳ない気持ちだ。でも、やっと形になったという感じがする。お二人にはあらためてお礼を申し上げたい。ほんとうにありがとうございました。(※620LX日記より)
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2003年08月12日

恒見、今津、畑

自由に行動できそうなのは多分あと3日くらいなので、曇りがちの天気ではあったが、今日も午後から撮影に出かける。バスに乗って恒見発着所まで行き、恒見八幡神社の近くにある西福寺を訪ね、そこの墓地にある合葬之碑を撮影する。
合葬之碑
明治期に恒見には監獄所があり、そこの囚人に肥料用の石灰を製造させていたそうだ。その労働環境は過酷だったらしく、そこで死んだ囚人達を弔うために建てた供養塚がこの碑ということだ。西福寺を出て、魚族供養之塔を再撮影のために寄ってから、東部農協前まで歩き、そこからバスに乗り、二十田で下車。そこから陣山城があったとされる小山を撮影。そのまま今津へと歩いていく。善教寺境内のびゃくしんの大木を撮影して、八坂神社に向かう。途中で小さな山の中腹辺りまで続いている狭い石の階段の上に石室が見えた。鳥居や神社であることを示すようなものは何も無い。階段を上っていくと、下から見えた扉付きの石室とは別に、小さな石が奉られた石の祠があった。
疫神様
見る限りはサヤ峠の佐夜神や浜條のサヤ様と同じような感じがする。ここも数枚撮影する。階段を下り、あらためて八坂神社に向かう。鳥居をくぐり階段を上ると、まだ新しく建て替えたばかりのような拝殿と、こちらは年季の入った神殿がある。境内は思ったよりも広い。撮影中は多くの蚊に襲われて往生した。結局右腕に2箇所、右耳たぶに1箇所の直撃を受けた。虫除けスプレー持ってくるべきだったなぁ。八坂神社の撮影を終了してから、先程の石室のある階段下を通りかかった時、階段下にある家から人が出てきたので、尋ねてみると、詳しくはわからないが、ここの土地では「やくじんさま」と呼んでいると教えられた。多分天疫神社や、門司には現存しないが北九州市内にはいくつかある「疫神社」からきている名前だろうと思う。
昨日買った本を読んで、是非とも津村神社に行っておきたいと思い、マリナクロス新門司のフェリーターミナルの向かいの岸壁まで歩き、一応「立ち入り禁止」の看板はあるが、そこからガードレールを越えて陸続きになっている津村島へ歩いていく。砂利と岩でゴツゴツして歩きにくい海岸を島の中央部へ歩いていくと、鳥居が見えてきた。
津村神社
津村神社の神である津村明神様は美しい神だったそうなので、娘二人が美人になりますようにとお願いしてから、20枚程度を撮影する。ここでも蚊に襲われたが、あまり多くないようだ。フェリー乗り場の方へ戻り、そこで缶ジュースを買って飲んでひと休みしてから、再度今津の町中を抜けて畑へ戻り、御堂のバス停の近くにある西迎寺を撮影した後、玉泉寺へ行き、本堂裏にあるという馬洗いの池を見つけようとする。が、最近作ったばかりと思われる鯉の泳ぐ池と、不動明王像が立つ小さな池(というか穴に水が溜まっている感じ)と、豊前坊下宮の近くにある石垣が組んである空池があり、どれが馬洗いの池なのか分からなかった(^^;)。
玉泉寺の池
勘では三つ目の空池と思うのだが、ちょっと不明。とりあえず3つの池を全て撮影し、今日の撮影は全て終了。多分あと1日で、残り全ての撮影は終わりそうだ。
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2003年08月13日

猿喰、ガンドウ墓、大積、とりあえず撮影は終了

少々曇りがちの空をうかがいながら、午後から最後(の予定)の携帯版@門司用の撮影に出かける。歩いて七つ石峠を越え(結局「七つ石」の場所はわかんなかったなぁ)、木舟社を訪ねる。前回来た時は拝殿しか撮影していなかったので、神殿と拝殿脇にある3つの石室を撮影。
木舟社
ポツポツ雨が落ち始めたが、本降りにはならない。この程度なら撮影は大丈夫だ。次の目的地である柳田弥九郎の墓へ向かう途中、ガンドウ墓(平家の落人の墓とか山伏の墓とか諸説あり、ガンド墓、ガンドウ塚、岸頭墓とも言う)のあるはずの山の下を通りかかった時、近くにいたお爺さんにガンドウ墓のことを聞くと、やはりこの山の上らしい。登り口を聞くと、丁度男の人が雑草を刈っている所あたりらしい。最初は行くつもりはなかった(虫除けスプレーも持参しなかったし)が、草刈している男性の方へ行き登り口を尋ねると、丁寧にも登り口から、山頂へ通じる道がわかるところまで案内してくれた。一緒に歩いている間に、その男性から、昔はこの辺りまで海が来ていたこと(なので「岸頭」とも言うらしい)と、ガンドウ墓はこの山の頂上にあり、昔は大きな松が塚の上に生えていたが、今はその松は枯れてしまっていることなどを話してくれた。蜘蛛の巣や木の小枝に引っ掛かりながら、教えられた道を登りきると、少し平らな場所があり、直径3m程度の土の塚が2つ並んでいた。
ガンドウ墓
なるほど太い松が枯れて折れてしまっていて、2,3mくらいの高さの小さな松が植えられている。撮影中は虫除けスプレー無しのため、薮蚊の集中攻撃にあう。なんとか右腕に3箇所、左腕に1箇所のみで乗りきる。山を下りて元の道に戻ると、先程の男性が未だ草を刈っていたので、再度お礼を言う。続けて柳田弥九郎の墓を探すために、九電門司変電所へ行く。まわりをゆっくり歩いて探してみたが、それらしき姿が見つからない。変電所のまわりは切り立った崖になっていて、いくつか崖の上に登る梯子や階段があるが、ほとんど雑草で道が分からなくなっていたり、相当な高さ迄登らなくちゃいけなかったりで、これ以上探しても無駄になりそうだと思い、捜索は打ちきった。
この時点で、汗で服もズボンもビショビショになっている。気持ちが悪いが替えを持ってきている訳ではないので我慢。途中、地蔵面の地名の由来となった六地蔵(猿喰公民館横)を撮影し、水分補給のため猿喰交差点のコンビニでアミノサプリを買う。それを飲みながら歩き続け、伊川城があったという円楽寺裏の墓地を浜條付近から撮影。次に喜多久峠の登り口にあるらしい三猿の碑を撮影しようと思い、伊川のバス停で時間を見たところ、次のバスまで30分以上もある。この辺りにはコンビニもないし、時間が潰せないので、黒川まで歩くことにした。石塚トンネル、柄杓田分道、椿トンネル、関門自動車学校、東郷中学校と通り過ぎ、約30分で黒川へ着く。黒川バス停からバスに乗り、大積東口で下車し、大積天疫神社方向へ歩いていく。ここでとうとう雨が本格的になってきた。持ってきた折畳傘をさしながら、天疫神社で海御前様の碑や墓を再撮影。神社横から大積トンネルを通る新道と喜多久峠に向かう旧道に分かれており、旧道を進んでいく。三猿は大積側の峠の登り口付近にあるとのことだったので、道端などを丹念に見つめながら歩いていくが、一向に見つからない。探しているうちに、かなり峠の上の方まで登ってきてしまったので、このまま峠を越えることにする。峠を下ってしまうと、今度はトンネルをくぐって大積に戻る。トンネルを抜けて、再び峠の登り口まで行き、再度見回ったが、やはり見つからなかったので、ここで撮影を終了することにする。
大積の海岸
これで携帯版@門司用の撮影はとりあえず全て終了となった。まだ行っておらず心残りのある史跡はあるが、時間的にも体力的にもこれ以上は厳しいだろう。大積東口のバス停へ戻り、バスを待つ間、お疲れ様の意味を込めて、近くのコンビニで買ったアサヒから新しく出た青ラベルの発泡酒を飲む。時間通りにバスが来るが、満員で座れない状態だった。ほとんどの客が今日おこなわれる海峡大花火大会へ行くようだ。雨天決行なので、この程度の雨だったら問題なく実施されるだろう。浴衣を着た女の子も多く乗っているが、ほとんどが中高生だ。かわいいんだけど、やはり色気がないよなぁ(^^;)。これだと幼稚園児の浴衣姿とさほど変わらない。黒川の交差点から渋滞でバスがほとんど動かなくなった。あれだけ車に乗ってくるなって花火大会の主催者側は言っているが、一向に効き目がない。普段なら1分で行くところが15分近くもかかる。さらに先まで渋滞は続いているようだし、立ちっぱなしで膝が痛くなってきたので、疲れてはいたが、春日3丁目バス停で下車し、桟橋通りまで歩いていくことにした。
ほとんど下りの道なので、こちらの方がよほど膝が楽だ。桟橋通りに着くが、乗っていたバスは結局追い付いてこなかった。門司港駅前は既に交通規制を始めていて、車は山手側や、そのまま和布刈方向へ向かっていく。歩きの客は逆にメイン会場の西海岸へ向かうため、門司港駅方向へどんどん歩いていく。雨も少しあがったので、花火見物するにも問題無いだろう。桟橋通りバス停で小倉方面のバスを待つが、これもなかなか来ない。15分くらい待ってやっと戸畑渡場行きのバスが来て乗車。大里東口で下車し、とみやまで牛乳パックを買い帰宅。今回も疲れました。(※620LX日記より)
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