2003年04月22日

大森公園、大積、和布刈方面をぐるぐる

午後から例のごとく携帯版@門司用の撮影に外出する。
大森公園に行き(ここは初めて来た)、丘の上の広場まで上っていき、公園のベンチに座っていた40代前半のオジちゃんが何故かこっちをじっとみているのを気にしながら、関門製糖の工場を撮影。丘を下りてから、小森江駅に向かう。すると門司港の方角から飛行船が飛んできた。門司で飛行船を見るのは珍しいなぁ。川崎にいた頃は日曜日なんかよく見掛けたんだけど。本体の横に「NISSEN」と書かれているが、日選開発なのかカタログショップのニッセンなのか分からない。ゆっくりと小倉の方へ飛んでいった。
電車に乗って門司港駅へ。時間があったので駅舎2階に上がり、昔の貴賓室や展示室を撮影。
門司港駅旧貴賓室
駅前から41系統のバスに乗り、大積東口で下車して、苔縄地蔵を探す。・・・が見つからない(^^;)。畑仕事をしていたおじいちゃんや玄関先を掃除していたおばあちゃんに尋ねてみるが知らないらしい。場所間違えたのかなぁ。苔縄地蔵を探してウロウロしていると、先程の飛行船が上空にあらわれた。今度はゆっくりと山の上へ消えていった。
結局地蔵さんは見つからず、時間も無いのであきらめてバスで門司港まで戻る。くそぉ、すぐに見つかると思っていたのに・・・甘かった。今度はちゃんと場所を確認してから来よう。桟橋通りで下車し和布刈まで歩いていく。ノーフォーク広場を撮影していると、駐車場の方から黒いシャツを着た壮年の男性が女性を連れて観潮公園の方へ歩いていく。見覚えのある顔だと思ったら、どうも門司在住の作家・佐木隆三氏のようである。失礼して後ろ姿を撮影(^^;)。国際海運会館1階の林芙美子資料館に寄って再現した書斎などを撮影。めかり観潮遊歩道を歩いて塩水プール前まで行き、そこからめかり公園へと登っていく。最初は舗装された車道を歩いていたが、あまり面白くないので第2展望台を過ぎてから脇に外れて山道のような道を登っていく。いくつか広場のような場所(何故かここで生活している人がいた)を過ぎ、どんどん登っていくと、古城山頂に通じる道に出たので、予定してはいなかったが、せっかくなので門司城址まで行く。
古城山頂
前回アベックが座っていたので撮影を遠慮した砲台などを撮影して下りる。めかり公園の駐車場近辺を撮影してから、車は一方通行の登り道を下り、再び観潮公園前に出て門司港の街に戻っていく。
税務署の横を通り、途中に門司倶楽部(中華レストラン)を撮影して清滝公園に入る。
清滝公園
ここから風師山頂へ向かう舗装された登山道がある。階段を上りながらまわりを撮影。滝もあるなぁ。清滝公園を撮影中またもあの飛行船と遭遇。なんだか追いかけられているみたいだ(^^;)。今度は下関側へ飛んでいった。日が長くなったとはいえ、18時も過ぎたので帰ることにし(区役所近くでまた飛行船に遭遇したが、今度は小倉方面へ飛んでいった)、途中巨人坂(おおひとざか)の撮影で寄り道しただけで、そのまままっすぐ歩いて帰宅。(※620LX日記より)
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2003年04月26日

とうとう閉店した大里東口の金山堂と、再び苔縄地蔵を探索。

午前中は曇っていたが、だんだん晴れて気持ちの良い天気になった。苔縄地蔵のある場所に大体の見当がついたので、再度デジカメ撮影に大積へ行くことにする。この前まで桜がどうのと言っていたのに、もうツツジが満開である。門司港行きの列車まで時間があるので、大里東口の金山堂で時間を潰そうと思ったところ、な、なんと昨日で閉店してしまっていた(;_;)。これはショックだぁ・・・。よほどゲオの進出が応えたのだろうか・・・。ここの店って、たしか私が大学4年の時に出来た店で、近くに本屋が出来て嬉しかったことを思い出します。しかしあまりにも急すぎるよなぁ。ってことは、新刊本とかは柳町まで行かないと見れないことになる。大里の本屋さんは、福田書店と豊文堂と金山堂の丸和店、ちょっと離れてカワマエ書店とグランデ金山堂の5店かぁ。寂しいなぁ。
電車で小森江駅から門司港駅へ行き、前回同様バスに乗って大積東口で下りる。前回は九州自動車道のガードをくぐらない範囲しか探していなかったが、本で調べてみると、ガードをくぐってすぐの位置にあることが分かった。ガードをくぐる場所は4ヶ所あるが、一番遠いところじゃないかと当たりを付けていたので、そこに向かってどんどん道を進んでいく。ガードをくぐったが、それらしいお堂は無かった。もう少し先に進むと、田畑の一段上の場所に小さなお堂が見えたので近づいてみる。お堂の中にお地蔵様はあるものの、どうやら苔縄地蔵とは違うようだ。途中で見つけた道祖神などを撮影したが、どうもこの辺りではないようだったので、ガードはくぐらず九州自動車道沿いの小道を戻っていくと、バス通りから2番目のガードの近くに緑色の小さな屋根が見えた。入り口のガラスの向こうに「淡島大明神」の提灯と「苔縄地蔵由来」と書かれた木製のラックが見えた。やっと見つかった。
苔縄地蔵
入り口は鍵がかかっていなかったので入ってみると、中央に赤い帽子に赤いちゃんちゃんこを着たお地蔵さん、その両脇に小さな不動明王と淡島大明神がまつられている。お参りしてから撮影する。先程見た木製ラックに「苔縄地蔵物語」という地蔵の由来を説明した手書きの絵本が置いてある。作者は趣味に「音楽鑑賞」と書いている17歳の少年だそうだが、昭和47年生まれと書いているので、この本は14年も前に作られたらしいが、まったく色褪せていない。
「苔縄地蔵物語」
郵便配達員だった苔縄少年が白野江山中で前夜からの豪雨による濁流に流され殉職したが、この時通りかかった人に持っていた郵便物を先に渡した後に力尽き流されていったという。壁に貼られた黒い布には「殉職者 苔縄重雄菩提」と書かれている。"勤勉で実直な日本人"の典型のような話だが、日本人総論の様なひと括りな結論で終わってしまうのでは、ちょっと足りない気がする。以前中国の山奥の村々に3日間歩きつづけて手紙を配達する郵便局員を紹介するテレビ番組を見たが、その局員や苔縄少年の心のあり方というものをもっと考えるべきじゃないだろうか。
撮影が終わり、バスで門司港まで戻って、今日オープンした海峡ドラマシップに行く。17時少し前だったので、混雑するほどでもなかったが、お客は結構入っていた。海峡アトリウムなどの有料ゾーンは既に閉まっていたので、無料ゾーンである海峡レトロ通りをうろうろする。かつて門司港にあった日本銀行西部支店や旭座などの建物や路面電車を復元し大正時代の街並みを再現しているが、これが思った以上によく出来ている。
海峡レトロ通り
街の中に立っていると、ちょっと不思議な感覚を味わうことが出来る。ただ、「書き割り」であることには変わり無いし、再現された建物の中が土産物の店だったりして、あまり工夫されていない気がする。意外に早く飽きられるかもしれないなぁ。30分くらい撮影して、門司港駅に向かう。来週はレトロフェスタなので、賑わうだろうなぁ。(※620LX日記より)
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2003年05月09日

鴎外旧居

午後から郵便局・銀行関係をまわる。途中携帯版@門司に画像を載せていなかった鴎外旧居を撮影。鍛冶町の雑居ビルが並んでいる真ん中にポツンとある。ここには初めて来た。入場は無料なので、遠慮無く入っていく。鴎外が住んでいた当時の姿を復元したもので、平屋だが結構中は広い。ガラスケースには著作が展示され、鴎外に関する年表が掲げられている。たった2年程の小倉滞在であり、鴎外にとっては、左遷され「隠忍の時期」とも言われているため、あまり良い思い出もないだろうが、東京へ戻る際には転任を惜しんで見送りの人が小倉駅にたくさん積め掛けたらしい。(※620LX日記より)
鴎外旧居
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2003年05月16日

ハローワークと門司図書館

曇っていた天気が午後から久々に晴れた。昼食後ハローワークへ行き、求人票を閲覧する。いくつか良さそうなものがありメモする。1時間程居てから、門司港方面へ歩いていく。海峡ドラマシップの真正面に、本日入港した海王丸が接岸していた。朝のニュースで入港の様子が流れていたが、結構大きい船だなぁ。鉄道記念館はまだ工事中だが、まだ屋根は外したままになっている。8月のオープンに間に合うんだろうか・・・。山城屋の解体工事はまだ始まっていないようだ。
金山堂に寄った後、門司図書館へ行く。
門司図書館
さすがに門司の郷土史の本が揃っている。中央図書館でも古本屋でも見たことの無い本が結構あった。大概のものは館外持ち出し禁止なので、今度来る時は620LXを持ってこよう。1時間弱で退出し、佐藤書店と再度金山堂で立ち読みしてから、バスに乗って帰る。そんなにたいした距離は歩いていないのに、足の裏がかなり痛い。やはり運動不足なんだろう。(※620LX日記より)
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2003年06月02日

旧門司、和布刈、清滝、門司港、小森江、大川での水遊び

約1週間振りの外出。久しぶりにデジカメ撮影に出かける。暑かったので、母親がタンスから出してくれた帽子(これ大学の頃に買ったものですが、まだ残ってたんですねぇ)をかぶる。昨日運動会だったので、今日は小学生はお休みで、大川で水遊びをする子たちがいた。
大里東口からバスに乗り、東本町2丁目で下り、甲宗八幡神社の横の道を上る。看板があり、ここをまっすぐ上っていくと6分でパゴダに着くらしい。古城小学校横を通り、崇聖禅寺へ。境内には特に何もなかったが、山門と宝筐印塔を撮影。
崇聖禅寺宝筐印塔
階段を下りて偶然見つけた「地名由来の井戸」も撮影。昔、この辺りは井戸町と言っていたそうで、その町名の由来がこの井戸だったらしい。その後、真光寺に行き、読み人知らずの碑などを撮影。
和布刈神社まで歩いていく。数日前ニュースになった海岸の工事(国立公園内なので、勝手に護岸工事をやっちゃ駄目だと、市から注意を受けたらしい)は、そのままの状態だったが、ブルドーザやシャベルカーなどは1台もなく、やはり工事は中止しているらしい。高浜虚子の句碑が元の場所から移されて工事現場に放置されたままなので、なんとかして欲しいなぁ。
歩いて門司港まで戻る。福岡シティ銀行や郵便局を撮影。センツウビルは、中を工事しているようだが、本当に移転してしまったのかなぁ。
清滝あたりを少し歩いた後、そのまま歩いて大里方面へ。途中で日本セメント工場跡や神鋼メタルプロダクツを表から撮影。
神鋼メタルプロダクツ
神鋼メタルプロダクツは元々神戸製鋼所門司工場で、組織変更によって新たに発足した会社だが、正門近くの事務所の外壁には、まだ「神戸製鋼所門司工場」と書かれている。
歩き続けると、相変わらずかかとから土踏まずの辺りが痛くなる。歩いている時の身体のバランスが悪いのかなぁ。今度の冬に門司一周を徒歩で歩く予定を立てているので、これは早く改善しとかないとなぁ。
帰りに大川沿いを通ると、子供たちはまだ水遊びをやっていた。(※620LX日記より)
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2003年06月06日

北九州市立中央図書館で調べもの

午後から小倉へ外出。クエストに寄った後、北九州市立中央図書館へ。前回来た時と同じく「北九州市産業史」と今回見つけた「門司の伝説ものがたり」、「門司市史」を閲覧する。2時間ほど調べて、多少情報を得たので携帯版@門司へ近々反映する予定です。「北九州の史跡探訪」の改定版も見る予定だったが置いてなかった。「郷土門司の歴史」も無かったので、誰か借りているのだろう。(※620LX日記より)
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2003年06月13日

サヤ峠、大久保、門司図書館

梅雨の合間の晴れ。午後からハローワーク門司へ行き、求人票の閲覧。その後バスに乗って清見4丁目まで行く。今回はここからサヤ峠に行き、佐夜の神(塞の神)の祠を探す。サヤ峠に来たのは初めてだ。清見から比較的狭くてなだらかな坂を上り、住宅地の中を"くねくね"続く半径の小さいカーブを上りきった所から竹薮と森が続く。時々車が通るものの、あたりは静かで、うぐいすや名前を知らない鳥の声がよく聞こえる。ところどころ畑仕事をする人達を見掛けるが、歩いてすれ違う人はほとんどいない。峠道から見下ろす位置に、木々に遮られて見え難いが数件の家と畑などがあり、隠れ里のような雰囲気である。
サヤ峠
峠を越えて20分程歩くと、九州自動車道に達する。ガード下をくぐると見覚えのある場所に出た。苔縄地蔵を探し回った時に来たところだ。な〜るほどぉ、こう繋がってんのかぁ。今度は来た道を戻っていく。佐夜の神の祠については、峠を往復した途中に地蔵さんの祠などが4つあり、それぞれデジカメに撮影したが、このうちのどれが佐夜の神なのが、また他にあるのかが分からない。峠の一番上にあるものがそれと思われるが、特別案内や説明板も無く、また「郷土門司の歴史」などの本に掲載されている写真にある祠とは違っている。しかし資料自体がかなり古い出版物なので、そのままの姿で今も残っているのかも不明なので、門司図書館に行って調べることにした。清見から大久保越方面へ歩いていき、途中正蓮寺にある軍馬塚と日支事変殉難軍馬之碑と、門司港IC近くにある殉職消防組員の碑を撮影し、門司港の街へ進む。
殉職消防組員の碑
門司図書館の3階の郷土誌コーナーでいくつかの本を調べてみるが、田郷氏の「門司の伝説ものがたり」にサヤの神の祠として掲載されている写真は、峠の一番頂上にある地蔵の祠であった。しかし、サヤの神に納められるというわらじがなく、また「郷土門司の歴史」には峠の北面の崖の上にあるとされており、南側にあるこの祠がそれだと考え難い。ほかの本をみるが、サヤの神についての記述は見当たらなかった。これじゃちょっと「サヤの神」と言いきる自信ないなぁ。機会をみつけて再度現地に行ってみますかね。
金山堂本店に寄って立ち読みする。向かいにある山城屋の解体作業が本格的に始まったようで、1階部分はフェンスで囲まれて山城屋のマークのついたシャッターも見れなくなってしまった。
バスに乗って帰るが、途中渋滞し始めたので「なんだろう」と思っていると、片上の199号線へ出る道の近くに消防車が止まっている。火事かと思っていると、見物人が道の方を向いている。なんだろうと思っていると、近くに宅配ピザのバイクが止めてあり、その前に配達員と思われる人がうつ伏せで倒れており、消防隊員が2人かがみ込んでいる。怪我人の様子はバスの中からでは分からない。そのまま通り過ぎていくと市民病院の前で救急車とすれ違った。たいしたことがなければよいが・・・。(※620LX日記より)
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2003年06月16日

平山観音院

デジカメ撮影に出る。日が出ていないものの蒸し暑く、歩いて5分くらいで汗が吹き出してきた。淡島神社を過ぎ奥田峠を越える(そう言えば淡島神社入り口近くにある猿田彦神の塚にわらじが数足、棒の先にかけられているが、これは例の「塞の神」と思われる)。平原のバス停から左に曲がる。最初のうちは住宅も建っているが、だんだん田畑が多くなってく。7,8分歩くと左側のちょっと高くなった所に小さな小屋がある。そちらに近づくと、小屋の中には金色の仏様がまつられている。平山釈迦堂と呼ばれている。
平山釈迦堂
まわりには殿墓のような五輪墓などもある。これらもこの地に住みついた平家一族の墓といわれている。脇に近代的な建物の貴船神社(中をみると集会所として使われているのかもしれない)や白山神社の鳥居(山の上には神殿があるらしい)がある。細い道を歩き続け、庚申塚の横を過ぎると、平山観音院の遍照殿が見えてきた。
平山観音院
遍照殿はまだ新しく大きい。境内は池を巡るようになっており、馬頭観音や千手観音など多くの仏様の石像が並んでいる。奥の方に観音堂と「お乳水」がある。安産の祈願にここを訪れる人が多いそうだ。50枚ほど撮影して戻る。再度奥田峠を越えて(道が狭く歩道が無いので、やっぱり歩くのはちょっと危ないかもしれない)、淡島神社前からバスに乗る。ゲオに入会した時にもらった割引券の期限が今月末迄なのを思い出し、ゲオに寄る。とは言え、特別見たいものもなかったが、笑えるものがいいかなぁと思い「みんなのいえ」を借りる。(※620LX日記より)
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2003年06月26日

再びサヤ峠、大山神社、田野浦、抱え地蔵などなど

予定通り外出する。大里東口から清見までバスに乗り、再度サヨ峠でサヨの神を探しに行く。「郷土門司の歴史」によると北側の崖の上の薮の中にあるらしいので、ずっと左側を向いて峠道を行くと、先日は気付かなかったが、道路から3mくらい上の土砂崩れ防護のためと思われる柵の向こう側に小さな木製の鳥居が見えた。デジカメのズームで見てみると神額に「佐夜神」と書かれてある。近くに鉄の梯子が崖に立て掛けられていたので、そこから崖の上へ上る。鳥居はまだ真新しく、多分最近作ったばかりであろう。材料の残りと思われる木片と削り屑が落ちているが、これも汚れておらず白っぽい。鳥居の傍には五輪塔があり、奥に高さ40cmそこそこの石塚がある。
佐夜神
塞の神特有のわらじは無く、資料に載っていた写真とは塚の配置は違うが、石塚、五輪塔の形が全く同じであるので、どうやらここで間違いないようだ。手を合わせてお参りした後、下の道路を歩いていくおばあちゃんに不信な目で見られながら(^^;)撮影。撮影を終え、崖から梯子を下りた(これが結構恐かった)後、地蔵堂のある所から左側の道に曲がり、先日大積まで歩いた時の道とは別の道を白野江の山中へ向かう。九州自動車道が見えはじめると、猿田彦神の塚がある三叉路に出た。ここも苔縄地蔵を探していた時に来たところだ。さらに進んで自動車道のガード下をくぐり、山中観音堂を探す。森になっている所に石の鳥居が見えたので、観音堂ではないと思いながら近づくと、鳥居の向こう側に石段が続いていた。石は大きさがバラバラで、踏むと一部グラグラする。上りつくと木々に囲まれた平地の奥に社があり、額に大きく「大山神社」と書いてある。拝殿と本殿以外なにも無い。静かだ。
大山神社
撮影を開始したが、汗をかいているため、どんどん蚊が集まってくる。観音堂も見当たらないので早々に立ち去る。しばらく付近をうろうろしてみるが、行く道行く道が全て民家に当たり(蜂の大群がある民家の屋根の近くを飛んでいて恐かった)、結局観音堂は見つけられなかった。もう少し調査が要るようだ(帰宅後調べると、どうやら個人宅の宅地内にあるようだ。撮影するにはちょっと手間がかかりそうだ)。
来た道をサヨ峠を越えて清見まで戻り、田野浦へ向かう。途中鳴竹で鳴瀧地蔵堂という新しいお堂を撮影するが、ここの由縁は全くわからない。調べて分かるようであれば、携帯版@門司へ載せようかなぁ。田野浦の街中を歩き、猿田彦神の塚や淡島神社(奥田の淡島神社との関係は不明)などを撮影後、真楽寺に向かう。ここの境内には宝暦12(1762)年に田野浦で遭難した肥前佐賀藩の溺死者を弔うために佐賀藩主が建てた塔(肥前墓)があるはずで、門をくぐってみたが、墓があるような場所がない。一旦門を出て、住宅地がある方から寺の裏側に行ってみると、古い墓が建ち並んだ狭い墓地を見つけた。入っていくと、墓の内のひとつに「溺死海会塔(全て旧字体)」と刻まれたものがあり、これが肥前墓のようだ。ここで数枚撮影。
肥前墓
この時点で16時を回っていたので、急いで門司港まで戻るためバスに乗る。門司高校下バス停で下車して地蔵寺へ。小高い丘の上にある境内には多くの石仏や塔が並び、もっと上は墓地になっており、門司港を見下ろす場所にありながら、なんとなく重々しい雰囲気を感じる。本堂前に小さな墓が一団にまとまっており、ここに田野浦で働いた遊女たちの墓が十数基あるという。しかし時間もなかったので、ひとつひとつを確認出来なかった。とりあえずここも撮影。
地蔵寺の門から出て、人が並んで歩けないくらい狭い丘の上の道を進み、途中貴船神社に寄ってから、東門司方面へ。街中に近いわりに静かだなぁ。銭湯の古い煙突や岡崎旅館の門前や西蓮寺の門にある飾りなどを撮影後、門司中央小学校近くにある抱え地蔵を探し出す。地蔵堂は昭和50年に建てられたそうだが、まだまだ新しい。
抱え地蔵
地蔵堂のまわりにも多くの地蔵が並んでいる。ここは日を限って願がけをするので日切地蔵とも呼ばれている。ここで数枚撮影。
図書館に寄ってトイレを借りてから、栄町まで歩いていく。解体の足場が組まれシートを被された山城屋の建物を眺める。
山城屋解体中
屋上にあった山城屋のマークも、シートにくるまれて、もう見ることは出来なくなっていた。いよいよさよならの時が来た、という感じです。逆に鉄道記念館の方は、囲っていた足場が外され、修復されたきれいなレンガの外壁を見ることが出来るようになった。8月のオープンに向かって、ちゃくちゃくと工事が進んでいるようだ。清滝1丁目からバスに乗って大里東口まで戻り、そこから大川沿いを歩いて帰る。相変わらず足の裏が痛い。今回は少し段に乗り上げる格好になり左足首も痛めてしまった・・・まいったなぁ、足まわりが非常に不安だ。(※620LX日記より)
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2003年07月02日

門司図書館で調査

午後、ハローワーク門司で求人票を閲覧した後、門司図書館へ行く。郷土史関係のコーナーから5冊持ち出し一般席に座る。平日の午後なので、閲覧室にはお年寄りと主婦が多い。浪人生らしき(古文の参考書が机に置いてあった)の斜向かいに座り、本をめくりながら、620LXのPWZ Editorで書き留める。一通り調べ終わって、書き終えたメモをそのままメールで送る。これを母艦で受信すれば、すぐに携帯版@門司の原稿になります。(※620LX日記より)
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