2003年03月11日

大里周辺をデジカメ撮影で歩く

久々に朝から晴れたので、午後から大里周辺の史跡等をデジカメ撮影して歩く。最初に先日場所を調べておいた静泰院跡に行き、30枚ほど撮影。
静泰院跡
柳町を街の方へ降りる途中に大梅庵跡とあったが、これは何でしょうねぇ。
大梅庵跡
その後、街の風景や、風呂の井戸、御所神社、佛願寺、西生寺などの史跡、日本製粉工場や倉庫などを撮影。(※620LX日記より)
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2003年03月14日

新九郎夫婦双孝碑などを撮影

暖かい一日。どうやら明日は雨になるらしいので、午後から、サイト掲載用に足りない写真を撮りに、満願寺、不老通り、住吉神社、新九郎夫婦双孝碑などをまわる。
住吉神社
住吉神社を撮った後、サッポロビール工場の脇を通ったが、門司駅方面に向かう通路を整備していて、街路樹などを植えていた。門司駅周辺の再開発の一環だろう。新九郎公園の場所をちゃんと調べずに来たため、40〜50分くらい社ノ木から東馬寄・下馬寄にかけてをうろうろし、やっと放課後の子供たちでいっぱいの新九郎公園を見つけ、片隅に建つ新九郎夫婦双孝碑を撮影する。新九郎・ミヨ夫婦は大変な親孝行ものとして知られ、時の小笠原藩主から米俵などを褒美としてもらい、大里の人々の誇りとして語り伝えられたそうだ。そういえば、5年生まで通っていた西門司小学校の校歌にも「孝子新九郎云々」という歌詞があったなぁ。
帰りに、グランディ金山堂に寄ってExcel VBAの初心者用の本を購入(VBAを勉強することにしました)後、みずき通りのドレスデンで、母親にホワイト・デーで渡すリンゴのタルトを買う。母親に渡した後、お相伴にあずかったが、これが大変美味しかった。(※620LX日記より)
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2003年03月20日

和布刈を中心にデジカメ撮影

携帯版@門司用の画像を撮りに門司港へ行く。今回は和布刈中心に撮影することにした。
小森江から電車に乗ったが、どうやら新型の車両らしく、ドア近くの吊り輪が円形に取り付けられており、また窓は外からは内部が見え難くなっていて、陽の光を除けるための幕が無い。紫外線や熱を遮断するガラスでも使っているのだろうか。
門司港に着いてから、群芳閣、山口銀行門司支店、老松公園、慰霊碑、関門国道トンネル入口などを撮影し、和布刈へ歩いていく。ノーフォーク広場に寄ってから和布刈公園に向かう長い坂道を、いっぱい汗をかきながら上る。途中、明石与次兵衛塔、めかり第二展望台を撮影する。ここから見る門司港の眺めは素晴らしい。山頂に着いてから、めかり山荘や世界平和パゴダを撮影する。長い間門司に住んでいて、和布刈には何度も来ているが、パゴダを間近に見るのは初めてである。
世界平和パゴダ
パゴダ入り口の入場券売り場から、田野浦と旧門司米穀倉庫の連なりが見えた。そう言えば、倉庫でさだまさしの映画「精霊流し」のロケが数日前におこなわれたらしい。知ってたら見物に行ったのになぁ。中村汀女句碑を撮影した後、門司城址のある古城山の山頂に向かう。戦前は要塞だったなごりからか、途中防空壕だか弾薬庫のような穴がある。ドコモの基地局も建っているが、ここからだとかなり広い範囲をカバー出来るんだろうなぁ。山頂に着くと、「門司城址」のかなり大きな石碑があった。ここからは関門海峡が一望でき、門司だけでなく、下関や小倉、遠く八幡の街まで見える。下関の火の山から見た眺めが心に残ったが、古城山からの眺めも非常に素晴らしい。
関門海峡
山頂から海水プール方向へ下っていく。唐人墓を撮影後、観潮遊歩道を歩いて和布刈神社へ向かう。神社近くに来ると、若松屋が取り壊されているのがわかった。新しい店舗はすぐ横にあるが、あの古く懐かしい雰囲気はなくなってしまったなぁ。和布刈神社でいくつか文学碑(宗祇や松本清張)を撮影し、再度観潮遊歩道をノーフォーク広場まで進み、そこから門司港の街へ戻る。門司信用金庫、大分銀行跡、福岡中央銀行、門司通信電気レトロ館、明治屋、山城屋跡、旧門司三井倶楽部、門司港駅構内の帰り水などを撮影して(なんか洗面所が男女とも使用禁止になってたなぁ)、帰路に着く。今日もかなり疲れた。夜、100枚近くの画像を整理して就寝。

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2003年03月23日

畑・恒見方面へデジカメ撮影

今日も携帯版@門司用の画像不足分を撮りに新門司方面へ行く。結局今日も歩き通しだったなぁ。鹿喰トンネルをくぐり、まずは玉泉寺へ行き、本堂や前回節分で来た時に見た大積隆鎮の墓や阿南哲朗の民謡碑などを撮影する。
大積隆鎮の墓
本堂からは読経の声が聞こえた。バス通りに戻って海の方へ進むと、松ヶ江病院の先に日合神社という小さな神社があり、門司市長の銘がある大きな慰霊碑があった。ここでも数枚撮影。畑から右折し、バス通りの旧道を進んでいく。
地図で恒見八幡神社を確認し、恒見発着所バス停から左折する。川伝いに行くと社殿が見えてきた。途中、なんと玄文堂書店があった。ここには大学時代に一回だけ行ったきりで、あった場所も忘れてしまっていたのだが、外から覗いただけだったが、相変わらず古臭い感じがなんともいい。こういう本屋がどこにでもあったのだが、今は駐車場付きの郊外型の大型書店が多くなって、ちいさな本屋が無くなってきている。確かに本の品揃えなんかを考えれば、大型書店は歓迎するべきかもしれない。でもちいさなところには時々絶版のものが新品で置いてあったり、そこの店主の趣味なのか珍しい本や雑誌なんかがシリーズで置いてあったりして、ほんとに楽しいんですよねぇ。
神社の正面側に向かうと、神社では珍しく鳥居ではなく門がある。参拝してから撮影する。ここに来るのは初めてだが、拝殿も本殿も大きくて立派で、ちょっと驚いた。
恒見八幡神社
撮影が終わった後、バスに乗って、前回場所がわからなかった殿墓に行こうと思い、バス停で時刻表を見るが、黒川行きのバスは30分待たなければならなかったので、止めてフェリーターミナルへ行くことにした。二十田から右折し臨海道路へ出て、花王の工場横を過ぎて新門司大橋を渡り、阪九フェリーのターミナルに着く。大きな寺院のような第1ターミナルビルを中心に撮影する。丁度泉大津行きのフェリーが出港するところで、岸壁を離れる船を撮影する。船はほんとにいいなぁ、ゆったりしてて。
阪九フェリー
埋め立てで陸続きになった津村島が見える。明治の頃は石炭が採れていたらしい。日がだいぶ落ちてきたので、島には次回行くことにし、帰路に着く。途中今津の街中を通ったが、昔の海岸線と思われる場所に「友石氏上陸之地」なる小さな碑があった。友石氏とは何なんでしょう? これも調べてみるかなぁ。
友石氏上陸之地
途中玉泉寺の近くの丘の上にある鳥居に寄って(地図上は上宮となっているが、鳥居には豊前坊と書いてある)から帰る。
今度は柳城址に行こうと思うが、いまひとつ場所がよく分かっていないので、ちゃんと調べてからにしよう。(※620LX日記より)
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2003年03月30日

藤松方面を中心にデジカメ撮影

大里本町の方へ行き、桜満開の佛願寺や八坂神社と、携帯版@門司用の画像に大専寺、明治天皇紀念之松碑を撮る。
佛願寺
それから藤松方面へ行き、途中とみやま藤松店でオレンジジュースのパックを買ってから(ここで買い物するのは30年振りかなぁ)、志津摩橋と大里高校前の道祖神を撮影。ここの道祖神にシュメール古拙文字が刻まれていることを、大里高校の考古学クラブの生徒が発見したらしい。世界各地で見つかっている古拙文字との同一性も実証されたことから、ここにもシュメール人が来ていたと想定されるということだ。
大里高校前の道祖神
大里高校前から青葉台方面へ向かい、村中川上流へ山道をしばらく進んでいくと、今日のメインである清正公堂に着いた。明治時代にある女性の夢枕に加藤清正の霊が立ち、肥後国から連れて帰って祭れというお告げがあり、有志数名が熊本に赴き、清正公を譲り受け(って何を譲り受けたんだろ?)この地にお堂を建てて祭ったということだ。20年前に、この近くに住んでいたが、ここの存在は知らなかったなぁ。
清正公堂
お堂自体は昭和28年の大水害で流れてしまい、今のものは昭和47年に再建されたものだそうだ。ここで30数枚撮影。
山道を下りて、懐かしの青葉台公園に行く。ここに来るのは約27年振りですね。ここの近所に小学校の友達が住んでいて、まだ工事中で赤土だらけの場所に基地を作ったり、子供会のソフトボールの練習に来たりとかしてました。公園で一番高い場所に上り、大里の街を眺める。ここから見ると、街全体を見渡すことが出来、遠くに関門橋や下関が霞んで見える。光町方向に坂を下り、新原町の全国鉄道殉職者弔魂堂へ向かい、前回撮っていなかった「清水正次郎之碑」を撮影。その後、帰宅途中に御所神社で数枚撮って今日はおしまい。(※620LX日記より)
清水正次郎之碑
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2003年04月03日

殿墓、旧桜隧道、清見、レトロ地区へ

天気予報は雨だったが、全く降る気配が無い。それでまた携帯版@門司用の画像を撮りに門司港へ行くことにした。小森江駅からJRで門司港へ行き、今月末にオープンする海峡ドラマシップや1号上屋に描かれたわたせせいぞう氏の壁画などを撮る。マリンゲートもじに行くと、巌流島行きの船がちょうど戻ってきた。武蔵人気もあり、しばらくは乗客も多いことだろう。
殿墓に行くため、門司港駅前から白野江行きのバスに乗り、八木田前で下車する。前回同様、「殿墓」と書かれた看板に従い、狭い路地を入っていく。T字路になったところに、畑仕事をしているオバさんが居たので、場所を尋ねてみると、突き当たって左を少し上ってすぐのところにあると言う。途中放し飼いの犬に吠えられながら、その通りに行くと、竹林の中に古い墓が数基見えた。
殿墓
殿墓の説明する案内板があった。数えてみるとたしかに18基あるが、一番左のものは完全に崩れてしまっている。犬が吠えている声がまだ聞こえる。手を合わせた後、全体と1基ずつの写真を撮る。石の塔はひとつひとつ形が違っており、それぞれが歴史の重みを感じさせる。道に戻ると、さっき吠えていた犬が犬小屋に引っ込んでいた。あまりにも吠えるので飼い主が鎖でつないでしまったらしい。
桜トンネル横の坂道を上り、しばらく行くと旧桜隧道があった。このトンネルは1914(大正3)年に開通し、これにより門司市と東郷村間の往来が便利になり、東郷村が門司市と合併するきっかけとなったそうだ。新しい桜トンネルは門司インターチェンジが近いことから、かなりの交通量があってうるさいが、こちらは道幅も狭く、通る車も人も少なくて静かだ。
旧桜隧道
長谷から谷町を歩いていく。この辺りはレンガ塀が多く、古いがなかなか大きな家が多い。門司の"山の手"といったところだったのだろう。旧門司三井倶楽部も元々ここにあったし、今も旧三井物産社宅がモダンなたたずまいを見せている。
旧三井物産社宅
隣にあるカボチャドキア国立美術館(今日は閉館してました)も元々は「菱和荘」という社員寮だったそうだ。同じ門司でも、この雰囲気は大里の街にはない。それから随分山の上の方まで家が建っている。門司港が開港してから爆発的に人口が増えたという話だし、平地の少ない土地だけに、山の斜面に建てざるをえなかったのだろう。
歩いてレトロ地区まで戻り、出光美術館や海峡プラザなどを撮る。これで本日の撮影は終了。再びJRに乗り小森江まで帰る。(※620LX日記より)
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2003年04月06日

白野江、青浜、部埼、太刀浦、田野浦・・・

今日も午後から携帯版@門司用のデジカメ撮影に出る。春用の薄いジャケットを着ていたが、暖かいというより暑い位の気候である。小森江から電車で門司港へ行き、金山堂書店や宗文堂に寄ったあと、桟橋通りからバスに乗り白野江植物公園へ行く。入場料を払い園内に入ると、明日から天気が悪くなる予報が出ていて今日が花見の最後になるだろうということで、家族連れやアベックで賑わっている。
白野江植物公園
桜はすでに葉が出始めているが、まだ花は散ってはおらず、遠くから見ると薄いピンクの霞のように見えて奇麗である。花見の風景や県の指定天然記念物になっているサトザクラや山頂広場からの眺望などを撮影。
公園から海岸沿いに歩き、いろいろ撮影しながら白野江を抜け青浜へ向かう。途中で"日本三大奇石"梅花石が出るという海岸に寄り、青浜に着いてから僧清虚の墓を撮影。60歳だった清虚は大分・竹田津から高野山へ向かう途中に青浜沖の海が航行困難であることを知り、部埼の山上で徹夜で火を焚いて航行の目標とし、亡くなるまでの13年間一日も欠かすことなく続けた善行僧である。清虚亡き後は青浜村民が焚火事業を引き継ぎ、後に明治政府が国策として灯台を建てることになったということだ。さらに歩き続けて部埼へ行く。巨大で白い清虚像が見え始めたが、その先の道路が改修工事中ということで通行止めになっている。どうしたものかと辺りを見回すと、海岸へ下りれば像の場所まで行けそうなことが分かった。大きなゴツゴツした石のころがる海岸を難儀しながら歩き、清虚像の下まで辿り着いた。
僧清虚像
ここには大学時代に友人と車で来て以来なので、15,6年振りになるだろうか。像はもっと大きかった記憶があるが、ちょっと顔が変だった(^^;)というのは記憶通りだった。数枚撮影した後、灯台へ上る道を探す。どうも通行止めになっているところにあるようだ。一応辺りを見回して人がいないことを確認してから柵の中に入る(^^;)と、案内板の横に上り口があった。右左に曲がる階段を上っていくと、白い部埼灯台があった。
部埼灯台
九州で3番目の洋式灯台として1872(明治5)年に建てられ、現在は無人になっている。灯台やここから見える海峡の風景を撮影し、山を下りる。
ここから白野江に戻るか太刀浦まで行くかを考えた結果、かなり足が疲れているのでゴツゴツした石の海岸を歩くのは嫌だし、せっかくここまで来たので「太刀の井戸」も撮影したいと思い、結局太刀浦へ歩いていくことにした。灯台のある山の裏辺りは大規模な砕石場になっていて、普通の日はトラックの往来が凄いという話だが、日曜日なので一台もトラックは動かなかった。第二コンテナターミナルを右手に見ながら歩き、太刀浦トンネルへ向かう道との交差点を曲がり、しばらく行くと、左側に古い長屋が見えた。田郷氏の冊子では長屋の中に「太刀の井戸」があると書いていたので、近づくとそれらしい井戸がある。しかし案内板がある訳でもなく、近くに人もいなかったので確証がない。とりあえず撮影する。
太刀の井戸
そのまま太刀浦のバス停に着いたが、バスの発車時間まで50分近くもある。バス停上方にある貴布禰神社にお参りした後、田野浦病院前の自販機で買ったコーラを飲みながら田野浦まで歩く。田野浦の街並みや春日神社の階段下の灯篭などを撮影する。春日神社前バス停からバスに乗り、桟橋通りで乗り換えて大里東口まで帰り、そこから歩いて自宅に戻る。(※620LX日記より)
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2003年04月13日

笹尾山砲台跡、柳城址などを撮影

午前中、とりあえず国民の義務を果たす。福岡県では今回県知事と県議会議員の選挙になっていて、特に県議は門司区選出が定数3から2に減ったので、現職のうち1名は必ず落ちてしまうという激戦になっています。深夜には当落がわかるようですが、さて誰が選ばれるんでしょう。
午後から例のデジカメ撮影。歩いて「武蔵小次郎祭り」をやっている手向山の方へ行く。山頂まで行くと、多くの人と露店で賑わっている。この祭りに来たのは(多分)初めてだ。砲台跡をステージにして踊りや歌の出し物や、小次郎碑の前で小笠原流の茶会(といってもお客はパイプ椅子に座ってましたが)をやっていたりしている。特に目的はなく、どんなもんかを見に来ただけなので、10分位だけいてから、隣の笹尾山の方へ向かう。途中、住宅地内の公園の隅にある小笠原お茶屋跡を撮影した後、配水池の方へ登っていく。配水池の入り口横に「笹尾砲台跡」の石碑が立っていた。明治期に作られた海岸砲台で、28cm榴弾砲が10門設置されていたそうだ。日露戦争で、そのうちの2門が輸送され旅順攻撃に使われたという。まわりには砲台の名残のようなものが見当たらなかったので、もう少し山の中へ続く道を歩いていき、1軒の民家(こんな所に家があったなんて、ちょっと驚いた)の横を抜けて、しばらく行くと、入り口や窓部分が塞がれていない防空壕らしきものが見えた。近づくと入り口に「第四号」と旧漢字で書いてあり、どうやら手向山のものと同様に弾薬庫のようだ。
笹尾山砲台跡
中に入ってみると、きれいにアーチ状に組まれたレンガがきれいに残っている。子供の頃、まだ入り口が塞がれる前の手向山の弾薬庫にも入ったことがあり、中はチョークで書かれた落書きだらけだったことを覚えているが、ここはきれいなままだ。ここで10数枚撮影。大里の街の風景も撮影。ここから見ると結構絶景である。
光町側の道から山を下り、西新町公園前の中野橋(長州藩とこの地で戦った小倉藩の中野一角隊長の名にちなむ)、藤松道祖神の近くにある子安観音、藤松けやき通りを桃山町方向に歩いていき、大里公園や門司競輪場跡を撮影。戸上神社にちょっと寄って(社殿は完成に近づきつつある)、バス通りを寺内へ進む。柳城址へ行こうとして、山へ向かう1本の道を登っていくが、行き止まりになっていた。近くにテニスボールで遊ぶ御老体がいらしたので尋ねてみると、柳城址への道はもう一本戸ノ上中学校前バス停側の道を行った方がよいと教えられた。お礼を言ってから坂を下り、教えられた道(企救自然歩道の看板がある道)を再度登っていく。5分程度行くと、ちゃんと整形された石で造られた階段のある場所があり、いくつかの石碑が立っている。石碑には「X力観音(Xの部分は読めなかった)」の文字が刻まれており、かつては観音がまつられていたのであろう。そこから長い階段を上り、若干険しい山道を登っていく。道が戸上山頂と戸上神社方面に分かれる所に行き先を示す表示板があり、そこから山頂方向へ2,3分上ったところで、疲れたので一休みしようと登ってきた道を振り向いたところ、右側の草むらの中に柳城址の石碑が立っていた(^^;)。
柳城址
ここで気付かなかったら、もっと上まで登ってたなぁ。ラッキーと言うべきか・・・。もちろん数枚撮影。
ちょっと休憩してから山道を下り、寺内の僧西入の碑(大蛇を退治し村民の難を救ったらしい)を撮影し帰宅。(※620LX日記より)
僧西入の碑
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2003年04月15日

黄金塚と関門鉄道トンネル

午後、母親からの頼まれ事も兼ねて外出し、黄金塚と関門鉄道トンネル入り口(入場券160円払って門司駅ホームからのズーム撮影でした)と門司駅のホームを撮影。
門司駅ホーム
最近駅でよく警官を見ることが多いのですが、なにかあったんですかねぇ。帰りに久しぶりにゲオに寄ったのですが、つい衝動でシルバーのGBA−SP(新品)を12,480円で購入。合わせてサッカーゲーム(こっちは中古)も購入しました。(※620LX日記より)
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2003年04月18日

七ツ石探索、豊前坊、城山霊園

例のごとく、デジカメ撮影に出る。今日は曇っているが、やはり気温が高い。
まずは以前探して見つけられなかった「七つ石」を探すことにし、七つ石峠に向かう。今回は時間もあるので徹底的に探すことにした。大粒の汗をかきながら、1時間の間に山の中や立ち入り禁止になっている場所(なんか火事で燃えた廃屋がある)などにも立ち入ってみたが、全然見つからない。廃屋のまわりには小さな仏像が置かれた祠や江戸時代の墓があるので、一番あやしいと思うのだが、やはり無い。これはもう誰かに聞いてみるしかないなぁ。
「七つ石」探索は打ち切って、鹿喰トンネルをくぐり豊前坊に向かう。上宮へ向かう階段を登っていくと、途中、木の枝にYシャツとネクタイが縛りつけられている・・・? 何なのか分からないまま更に登っていくと、上からシャツ1枚のオジさん下りてきた。二、三言葉を交わすと、運動のために上り下りしているそうで、既に4往復目らしい。そのまま登っていき、木に囲まれた小さな上宮のある場所に着いた。
豊前坊上宮
ひと休みしてから撮影を始めると、先程のオジさんが登ってきた。門司自動車学校の教官だそうで、暇があればここを上り下りしているそうだ。オジさんがひと休みして下りていった後、こちらは続けて上宮や階段まわりの灯篭を撮影。まとわりついてくる蚊を払いながら、階段を下りる。
玉泉寺近くの下宮を撮影してから城山霊園に向かう。城山霊園内をうろうろしながら大久保池を中心に撮影。こうやって改めて歩きまわると結構広いなぁ。
城山霊園
新九郎の墓がどこかにあるはずだが、ちょっと分からないなぁ。山登りが続いて疲れたので、今回はこれで切り上げる。(※620LX日記より)
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