2002年10月22日

印鑑が出来上がる。瀧の観音寺へデジカメ撮影。

午後、実印を取りに行った(なかなか格好良いものが出来上がりました)後、瀧の観音寺へデジカメ撮影。小学生時代に写生に来た時以来なので、約30年振りなのですが、上り坂の階段が急できつかったこと以外は覚えてませんでした。今回も運動不足のせいで、かなりきつい坂(階段)を上ると、空気は涼しかったのに、かなり汗をかきました。木に覆われてもともと薄暗い場所のうえ、この日は一日中曇っていて、撮影には向かなかったので、フラッシュ焚きっぱなしになってしまい、境内の澄んだ雰囲気が捕らえられず、あまりいい写真が撮れませんでした。とりあえず資料画像という感じで約30分ほど撮影。まぁ日を改めて、また来ようと思います。(※620LX日記より)
瀧の観音寺
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2002年10月30日

小森江〜淡島神社をデジカメ撮影

「はるちゃん6」を見てから、小森江駅近くにあるレンガ造りの倉庫群をデジカメ撮影に行く。
レンガ倉庫群
ターゲットだった倉庫群は外装を修繕しているのか、一部足場が組まれていて、撮影にはちょっと不向きだった(;_;)ので、数枚撮っただけで早々に去る。その他日本製粉や協和醗酵の工場を撮ってから、昨日訪れた林芙美子生誕地記念文学碑へ向かう。途中で下校中の門商生徒の大群が道いっぱいに広がって歩くところに遭遇。先生方、交通規則をちゃんと教えてやってください。記念碑のある場所へ着き、猫がうろつく中、数枚撮影。
林芙美子生誕地記念文学碑
今度は永黒方向へ下り、大山祇神社へ向かう。伊川へ向かう道路(県道262号)に出て、しばらく行くと、コンビニの駐車場にパトカー5台(覆面1台を含む)が止まっているのを目撃。近づいて様子を見てみるが、捜査員が1台の黒い車を囲み、ボンネットまで開けて何やら調べているらしい。でも何の事件なのかよくわからないまま10分位してから、その黒い車と共にパトカーも去っていった。何だったんだろうなぁ、気になる。それから再度大山祇神社へ向かったが、参道の途中で、拝殿の屋根を普請しているところを見つけた。なんとも今日はよく「工事中」に当たる。ということで、撮影は後日にまわし、再度県道262号に戻ってしばらく歩き、赤い社殿が鮮やかな淡島神社へ到着する。淡島神社には多分初めて参拝するなぁ。境内は狭くて、夕暮れも近かったので誰もいない。ここで境内や夕陽に染まる山際などを数枚撮影し、冷えてきたし、お腹も空いたので帰ることにする。(※620LX日記より)
淡島神社
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2002年11月01日

広寿山福聚寺、手向山

「はるちゃん6」を見てから、足立山麓の広寿山福聚寺へデジカメ撮影へ。大里東口からバスに乗って、砂津で霧ヶ丘行に乗り換え、広寿山バス停で下車する。鳥のさえずりだけが聞こえる静かな境内を約1時間位かけて、50枚程度撮影する。
広寿山福聚寺
バスには乗らず、赤坂を経由して歩き、手向山まで行く。多分小学校の遠足以来で、非常に懐かしい。大里地区の幼稚園や小学校の春の遠足といえば、だいたいこの手向山に登っていた(先々月のオフ会でPAKUさんから聞いた話では、富野辺りの小学校の遠足も手向山だったそうだ)し、小学1年生までは住んでいた場所の裏山から手向山に通じる道があったので、遊び場所として遠征したことも何度もあった。今回小倉側の入り口から登ったが、こちら側から登った記憶はないので、多分初めてだろう。17時も近くなり薄暗くなった中、車1台が通れる程度の幅の道をくねくね曲がりながら登っていく。この雰囲気は比治山を思い出すなぁ。一番上の広場に出ると、昔懐かしい宮本武蔵の碑と佐々木小次郎の碑が少し間を空けて並んでいる。元々手向山は養子である宮本伊織の領地(伊織自身の墓もあるらしい)で、武蔵碑は武蔵の死後10年目に作られたものらしい。
宮本武蔵の碑
来年の大河ドラマは宮本武蔵の物語ということなので、少しは観光客が訪れることになるのだろうか。展望台(小学校の頃には無かったよなぁ)に上り、夕暮れの関門海峡を眺めながら、門司の街や小倉や戸畑の工場群を撮影。
手向山からの眺め
やっぱりこの景色は好きだなぁ。展望台を下りて、ジョギングや犬の散歩をしている人たちがポツポツいる公園内を歩き、弾薬庫跡の前に出た。明治以降この辺りは要塞地区だったため、昔の砲台とか探照燈の設置跡などが多く残っているが、特に手向山で印象に残っている場所はこの弾薬庫(ただ、小さい頃からつい最近まで、この穴は防空壕だと思っていました)で、今は入り口がブロックで塞がれていますが、幼稚園の頃はまだ開いていて、この薄暗い中に入るのが結構恐かったことや、壁いっぱいにチョークか何かで書かれた落書きがあったことを覚えています。辺りをいろいろ撮影しているうちに、日が落ちてしまって撮影不可能になったので、門司側の道から下りて帰る。昔通っていた田んぼの真ん中の細い道は、住宅地として整地された時に潰されて、陸軍の軍道であることを示す石の標識も今はもう無い。(※620LX日記より)
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2002年11月19日

御所神社、原町、199号線

「はるちゃん6」を見てから、金山堂にビデオを返しに行った後、昨日読んだ「門司と小倉の歴史から九州がわかる話」に御所神社に安徳天皇の木像が奉られていた石室があると書いてあったので、その存在を確認しておこうと思い、御所神社に行く。本殿の裏に行くと、確かに扉を縄で縛られた小さな石室がありました。今は木像はどうなっているんでしょうか・・・。
御所神社石室
3号線を歩き原町別院近くの鹿児島本線の線路脇に行く。ここは小学校の時の同級生のおかあさん(今思い出すと、同級生のおかあさんにしては若くて、ちょっとエッチだったなぁ(^^;))が働いていた床屋があった場所で、何度か髪を切りに来たことがあった。プレハブの小さな小屋には「JR BARBER」という看板はあったが、なんだかもう営業をしていないようだ。
思い出の散髪屋
線路をくぐって、199号線へ出る。大型トラックが行き交う車道の脇、人一人がやっと通れる程の狭い歩道を歩き、旧サッポロビール工場前にある住吉神社へ寄った後、旧長崎街道を通る。大里東口から3号線に出て、再度金山堂に寄る。「ウルトラセブン」5,6,7巻を借りて帰宅。(※620LX日記より)
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2002年11月20日

猿喰城跡、木舟社など

「はるちゃん6」を見てから、デジカメを持ち出して外へ出る。今回は七ッ石峠を越えて猿喰(さるはみ)方面へ行くことにした。城山霊園前を左に曲がり、しばらく歩くとT字路にあたった。左に曲がると東部斎場がある。右に曲がる所で猿喰城址登山口の看板があり、せっかくなので登ってみることにした。登山道はかなり急で、枯れ葉が落ちて滑り易くなっている。運動不足のうえに体重も増えているためか、かなり早く足に疲労がきて、すぐに息が上がる(xox)。昔の武将達が鎧兜を付けて攻め上ったというのだから、すごい体力だよなぁ。額の汗を拭きながら休み休み登って、10数分で頂上に着く。山頂にはNHKと民放共同のテレビ中継放送局のアンテナがそれぞれ立っていて、その奥に小さな石室と「猿喰城址」の石碑があった。
猿喰城址
息を整えながら、20分程度で何枚か撮影。滑りそうになりながら山道を下りる。近くに「七ッ石峠」の名の由来である、七つの自然石の墓があるはずだが、わからなかった。また後日探してみよう。
峠を下っていく。「でっか字まっぷ北九州」を見ると、このあたりに「本舟社」という神社があるらしいので、行ってみることにした。脇道に外れて集落の中を通ると、奥の方に鳥居と小さな社殿があった。
木舟社
両手を合わせた後、何枚か撮影。ガラス戸の閉まった拝殿の中を見ると、扁額が掲げられていて「木舟社」とある。鳥居の近くで畑仕事をしていたおじさんに尋ねると、やはり<きふねしゃ>であるそうだ。門司には「貴船神社」、「貴布祢神社」と、<きふね>と名の付いた神社がいくつかあるが、多分同じ意味だろう。先のおじさんの話では、だいたい神社の造営は400年位前で、本殿は5年前に建て替えたばかりだそうである。
九州自動車道の下を過ぎ、門司北高校前の交差点に出て、完全に産業道路化している県道25号線を畑方面へ歩いていく。猿喰にある厳島神社へ寄ろうと思ったが、西側に山のある新門司は日が暮れるのが早く、ちゃんと撮影するには暗くなり過ぎたので、このまま帰ることにする。畑の交差点を右に曲がり、玉泉寺前を通り、鹿喰トンネルを抜ける頃には完全に暗くなった。汗をかいた後でもあり、日が落ちるとさすがに寒くなる。家に帰り着くと、湯どうふだった。暖まるなぁ(^_^)。
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2002年11月24日

門司港から田野浦までの撮影

昼食後、デジカメを持って外出。金山堂で本を立ち読みした後、小森江駅から電車に乗って門司港へ向かう。今まで撮っていなかった関門連絡船通路跡や0哩標、駅舎2階の旧貴賓室などを撮影。フリーマーケットで賑わっている駅前を抜け、萬龍のある通り(CXの月9ドラマ「ホーム&アウェイ」の先週放送分で映ってましたね)や、平民食堂の看板、放浪記の店先を撮影。
平民食堂
それから佐藤書店に寄って、門司関係の古い本を物色。「門司市史」や「門司郷土叢書」など、貴重な本が揃っていますが、いずれも高価で手が出せないですねぇ。先日書いた「高麗町」や「百済町」の存在を確認したかったので、昭和初期くらいの古い地図も探してみたのですが、それは見当たりませんでした。また今度、違う古本屋に行って探してみようかね。佐藤書店を出てから、東本町の岩田酒店へ。全景を撮影しようとしたが、場所が関門国道トンネル入口の近くで、しかも休日ということもあり、下関側へ向かう車で道が混雑しており、撮ろうにもフレームにどうしても車が入ってしまうため、早々にあきらめ、看板や窓など部分的な箇所を中心に撮影した。
岩田酒店
昔の商店の面影を残していて、屋根なんか重厚で、ちょっと圧倒される感じがします。ほんの数年前まで営業していたらしいのですが、今は借りてくれるところを見つけている最中らしいです。
部埼まで行くつもりで、和布刈方面へと歩く。和布刈神社の一の鳥居前で3,4台のバギーと遭遇する。和布刈神社でお参りし、周辺を少し撮影(海峡とか、おでんが地元では有名な若松商店など)する。古城山の麓を海沿いに歩き、田野浦海岸にある旧門司米穀倉庫に着く。
旧門司米穀倉庫
ここは昭和2,3年に建てられた10棟の建物で構成されていて、大きな切妻屋根が特徴的で非常に圧巻です。敷地内には入れないので、閉まった門の隙間から写真を撮っていると、犬の散歩をしていたおばさんに声をかけられた。昔はトラックや船で大量の米が運ばれていって、すごく賑やかだったという話をしてくれた。「今はまったく駄目になってねぇ」とも言っていたが、確かに倉庫の屋根も痛んでいて、穴が空いてしまっていたりして、栄光も今は昔の態になっている。
さらに田野浦の方向へ進んで、埋め立て地に建っている三井鉱山や小野田化学の工場の横を通り、途中に仁吉社(ひとよししゃ?)という神社を撮影したりして、田野浦に着く。立派な鳥居をくぐって結構長い階段を上ると春日神社があった。「春日神社」と彫られた立派な石碑とは対照的に社殿は荒れていて、屋根に穴は空いているし、天井板はほとんど無くなってしまっている。
春日神社
本殿の扉も取れかかっているようである。社殿横に植えられたいちょうの黄色がなんとも悲しい。階段を下りて、人家の迫った細い道を歩くと、大里本町で見るような格子窓の家が数軒ある。田野浦は元々北前船(わからない人は事典で調べてください(^^;))の寄港地であったことから、今では想像も出来ないが、かなり賑わっていたらしい。これらの家もその頃の名残なのだろうか。
このまま部埼まで行くには、時間的に遅くなってきたので、ここで帰ることした。折戸口の交差点まで行くと、米穀倉庫で会った先程のおばさんに又会った。今度は犬を2匹連れている。なんでも犬は4匹飼っているそうだ。歩きながら、おばさんの旦那さんが地元大久保の出身で80年も住んでいることや、田野浦に遊郭のあったことや、昭和28年の大水害の時は近所の崖が崩れて何人か死んでしまったという話を聞いた。大水害の話は、学校の社会科の授業でも親からも聞いているし、関門トンネルが水没した(現在は、その時の教訓で、トンネル入口を閉める鉄の門が設置されている)ことも知識として知っているが、直に話を聞くと、やはり実感してしまう。
米穀倉庫のところでおばさんと分かれ、和布刈まで戻る。まだ少し時間があったので、海峡の風景を少し撮影して、久しぶりに関門人道トンネルを歩いてみることにした(無料だしね)。エレベーターで地下まで行くと、結構人が通っている。なかでもジャージ姿の人が多く、トンネル内を運動のためにジョギングなんかをしているようだ。しばらく歩き、山口県との県境に着く。
関門人道トンネル
このまま下関まで歩いていくと、それこそ帰りが遅くなるので、ここで引き返す。エレベーターで地上に着くと、すっかり日が暮れていて、もう真っ暗だ。少し急ぎ足で門司港駅まで歩いていく。かなり足が疲れてしまった。(※620LX日記より)
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2002年12月23日

猿喰新田付近をデジカメ撮影

天気がもちそうだったので、「はるちゃん6」を見てから、デジカメを持って外出する。七ッ石峠を通って猿喰まで歩く。新門司病院近くにある新池に寄ってから、門司北高そばの石原宗祐翁頌徳碑へ行く。
石原宗祐翁頌徳碑
石原宗祐は大里村の庄屋で、享保の大飢饉の経験から私財を投じて猿喰海岸を干拓し新田を開き、後に小倉藩からの要請で(これまた私財を使って)曽根新田の開発をおこなった人物で、郷土の恩人としてその名が語られている。これらの新田のおかげで、後の天明の大飢饉でも餓死者0名だったらしい。この辺りはその当時に造られた堤防や溜め池が残っている。
門司北高の横を通って、猿喰海岸側へ向かうと、猿喰新田の汐ぬき穴と呼ばれる穴がある。用水路からの排水や新田の塩分を抜くために使用したそうで、元々は4個あったそうだが、現在は2個だけ残っている。直径1.5m位の穴の周りに石で造られた頑丈な枠がある。ここで10数枚撮影する。
汐ぬき穴
新田の中の道を歩く。新田の真ん中に小さな森があり、そこに厳島神社がある。この場所は元は裸島という島で、神社は新田で耕作する村人の安全と新田の豊作を願って石原宗祐が建てたものだそうである。小さな鳥居をくぐると左に大きく曲がった道があり、進んでいくと小さな石室と祠堂があった。ここで数枚撮影する。
厳島神社
再度汐ぬき穴のところまで戻り、そこから猿喰海岸へ出る。埋め立てで陸続きになった軽子島が見える。
軽子島
海岸線は整備されていて、海を眺めて休憩するのに良いようにベンチやテーブルが作られている。ゴミが落ちていないところを見ると、来る人はあまりいないようだ。海岸に降りたオジサンがひとり、何かを獲っているのが見える。
柄杓田の天疫神社に行こうと思ったが、暗くなり始めたので止すことにし、柄杓田に抜けるトンネルの手前から西に曲がり、伊川の交差点方向へ歩く。伊川の辺りは古い家が多く、珍しく土塀なんかが残ってます。大里伊川線に出てから円楽寺に寄る。鐘楼の隣に「産婆中野シノ之碑」があるが、何でしょうかね? 
産婆中野シノ之碑
大里伊川線に戻り、しばらく歩くと、九州自動車道の手前で鳥居が見えたので寄ってみる。何故か「天疫神社」と「貴舩神社」の扁額がふたつ並んでいる。社殿は一棟だけなので、どうしてこうなっているのか分からない。再び大里伊川線に戻って九州自動車道の下をくぐり、JR西日本の変電所脇を過ぎる。ここから先は歩道が無いので、車に注意しながら、くねくね曲がった峠道を登る。歩くには(特に夜は)危ないかもしれない。淡島神社の横を通って帰宅。(※620LX日記より)
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2003年01月21日

大積天疫神社、河童の証文石、白野江の野江谷公園

午後から、田郷利雄著の冊子「門司と小倉の歴史から九州がわかる話8 源氏と平氏と北九州(三)伝説とエピソードで語る北九州版「平家物語」」に載っていた、河童の伝説が多く存在する大積へ行き、河童の残した証文石を見ることにした。冊子からの受け売りになりますが、大積の河童伝説は、壇ノ浦合戦で海に身を投げた能登守平教経(壇ノ浦合戦で源義経を追いまわした武将で、彼から逃れようと義経が船を跳び渡ったのが有名な「八艘跳び」である)の妻の遺体が大積の浜にうち上げられ、それをあわれんだ里人が乙女山の麓に葬り、海御前(あまごぜ)の墓としたことから始まり、その海御前が源氏ゆかりの者達への恨みをはらすために室町時代初期に九州一円の河童の総帥として蘇ったというものです。証文石とは、海御前から源氏ゆかりの者へ危害を加えるよう命じられた一匹の河童が、河原にいた大積丸山城主である門司(もんじ)親秀の馬を淵に引きずり込もうとして失敗し、親秀に切られようとした時に、二度と悪事を起こさないことを誓い、近くの岩を証文としたという伝説からきています(この証文石伝説は他にも白野江、柄杓田、和布刈の梶ヶ鼻にもあるそうだ)。
小森江から電車で門司港へ行き、そこから白野江行きのバスに乗り換える。大積農協前で下車し(実際は大積東口で下りた方がよかったようだ)、喜多久方面へ向かう道を宮前橋付近まで歩くと、山(乙女山)の麓に鳥居が見えてくる。ここが大積天疫神社で、11月には大積神楽(市指定無形民俗文化財)がおこなわれる。
大積天疫神社
神社内には海御前の墓と石碑、河童の像、海御前を祭った水天宮があります。神社内はあまり広くないが、静かで、きれいに掃除されている。ここで20枚ほど撮影する。神社前から細い道を進むと、乙女橋という小さな橋があり、ここが河童が馬を淵に引きずり込もうとした乙女ヶ淵だったらしい。道から少し高い場所に証文石(石には「証文岩」と彫られている)と、乙女ヶ淵を覗き込むように河童の像が立っている。
証文石と河童像
薮の中から見える河童像は、ちょっと恐いですねぇ。近づいて見ると、表情がなんだか怒っているみたいだし(^^;)。それから、野江谷公園(白野江植物公園の向かいにある小さな公園)にある証文石を訪ねる。
野江谷公園の証文石
この証文石は白野江小学校の裏山の中腹にあったものを移動したものだそうだ。形は細長くて、なんとなくきれいに磨いたような感じがする。ここで5,6枚撮影。やはり前述の冊子に書いてある殿墓(とのばか)を訪ねるために八木田まで歩く。途中に大積丸山城址があるはずだが、特に案内板が出ていないので、場所はわからなかった。
「八木田前」のバス停まで行くと、殿墓のある場所を示す標識があったので、それに従って細い坂道を上っていった。殿墓とは、黒川在住の八木田氏の祖先である平休意(やすおき)一族の墓と伝えられているもので、この休意なる人物は、平家の総大将平知盛(あるいは宗盛)に命じられて宇佐神宮へ平家の戦勝祈願に行き、その帰路の途中平家滅亡を知り、一族とともに黒川の地に身を隠し、後に姓を「八木田」と改めたと伝えられています。途中に「八木田」の表札がかかった大きな家があり、立派な門がある。冊子によると、この坂道の一番奥にあるはずなのだが、突き当たった場所が三叉路になっており、右に行くと墓地だが、まだ新しい墓が横一列にならんでいるだけであり、左に行くと民家の中に入りそうで、少し進むとそこの飼い犬に吠えられた。結局場所はわからず仕舞になってしまった。場所については少し調べた方がよさそうだ。バス通りに出て、すぐ傍にある神社に寄る。
黒川貴船神社
地図には載っていなかったが、鳥居を見てみると、ここも「貴舩社」である。ほんとに「キフネ」の名を持つ神社が多いなぁ。荒れた感じは無いものの、あまり人が訪れることはないようだ。ここで数枚撮影。黒川からバスに乗り、門司港駅まで行き、電車で小森江まで戻り帰宅する。(※620LX日記より)
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2003年02月01日

和布刈神事

行ってきました、和布刈神事。
和布刈神事について説明すると、航海の安全と豊漁を祈願して、旧暦の大晦日から元旦にかけて、干潮時に和布刈神社前の海でワカメを刈り神殿に供えるもので、古くは「李部王記」という書物に、710(和銅3)年に神事で刈ったワカメを朝廷に献上したことが記されているそうだ。現在は県指定無形民俗文化財になっています。長いこと門司に住んでましたが、まだ一度も行ったことがなかったので、この機会に行ってみようということになりました。1時頃家を出て、和布刈神社近くの駐車場に車を停める。既に神楽などが始まっている。持ってきたデジカメで神楽をしばらく撮影してから、ワカメを刈る場所に近い、灯篭を見下ろす場所に行くと、既に海岸沿いに観客が70〜80人並んでいる。灯篭を目の前にする場所の2列目に位置取る。絶好の位置ではないものの、前列は背の低いオバチャンと中年のおニイさんなので、海はよく見える。海上には警備船が1隻、潮の流れに逆らいながら停止している。団体客も結構いるらしく、大阪の高槻から来た俳句の会のオバサン達もいるらしい。潮の流れの速い海峡と、潮がひいて岩肌の見えてきた海岸を眺めながら、約1時間10分待つ。神事の始まる直前には次第に人も集まり、300人くらいが狭い境内にあふれる。2時40分頃、大きな松明を持って、神官が3人海岸に降りていき、神事が始まった。松明だけ照らした岸をあちこちに移動して、ワカメを刈り取る。一度波をかぶって松明が消えてしまうハプニングがあったが、再度点火して続ける。その様子をデジカメを持った手を伸ばして撮影するが、さすがにほとんどピントがあわない。ピントがあっても、押し合う客の間に挟まれて、手がぶれてしまう。それでも撮り続ける。
和布刈神事
3時頃、もう1本の松明と共に報道関係者も海岸に降り、報道用のカメラ撮影がおこなわれる。それをまた撮る。3時10分頃、刈り取ったワカメを神殿に奉納して神事は終了。3時30分頃帰宅し、そのまま就寝。
朝は9時半頃起床。神事を写した画像を約70枚確認しましたが、その中で多少きれいに見えるものは3枚でした。他の画像は、ぶれていたり、ピントが合っていなかったりしていますが、まぁ雰囲気は出ているので、破棄せず保存することにしました。(※620LX日記より)
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2003年02月28日

葛葉、風師周辺など

午後、ハローワーク門司へ行き、求人票を閲覧する。ソフト関係の会社で、めぼしいものをチェック&メモする。でもなぁ、年齢とか開発経験年数とかの条件が合わないものばかりなんだよなぁ。会社では、C言語での開発は半年しか経験ないし、ほとんどの求人にはJAVA、Oracle、VC、VC++などが1〜3年経験になってるし・・・。古いタイプの電子交換機用の言語しか知らないんで、ほんとに潰しがきかない。どこか講習に行こうかなぁ。
1時間ほどしてハローワークを出て、門司港方向へ歩く。今度はデジカメ撮影。旧電車通り沿いに葛葉や風師周辺の坂道や階段を上って、古い洋風の個人宅(裏に荒廃した神殿があったが、なんという神社だったのだろう)や海峡の風景、日本セメント工場跡などを数十枚撮影。
日本セメント工場跡
山の斜面に張りついて建つ家々の間を歩いていると、ごみを入れておく蓋付きのコンクリート造りの箱を見つける。門司でも古い家が並んでいる場所には残っているようだが、街中ではほとんど見なくなりました。さらに歩き続けて、門司区役所、清滝のバイパスから見たレトロ地区、工事中の鉄道記念館、明治屋側壁の三つ鱗マーク、鎮西橋跡の橋柱などを撮影。
明治屋側壁の三つ鱗マーク
埋め立て前は、この辺りには堀川という運河があり、甲宗八幡神社下まで伸びていたらしい。
バスで東通り6丁目まで行き、デジカメ画像のバックアップ用に焼いたCDにラベルを付けようと思い、ベスト電器門司店でインクジェットプリンタ用のCD/DVDラベルとインデックスカードを購入。
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2003年03月11日

大里周辺をデジカメ撮影で歩く

久々に朝から晴れたので、午後から大里周辺の史跡等をデジカメ撮影して歩く。最初に先日場所を調べておいた静泰院跡に行き、30枚ほど撮影。
静泰院跡
柳町を街の方へ降りる途中に大梅庵跡とあったが、これは何でしょうねぇ。
大梅庵跡
その後、街の風景や、風呂の井戸、御所神社、佛願寺、西生寺などの史跡、日本製粉工場や倉庫などを撮影。(※620LX日記より)
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2003年03月14日

新九郎夫婦双孝碑などを撮影

暖かい一日。どうやら明日は雨になるらしいので、午後から、サイト掲載用に足りない写真を撮りに、満願寺、不老通り、住吉神社、新九郎夫婦双孝碑などをまわる。
住吉神社
住吉神社を撮った後、サッポロビール工場の脇を通ったが、門司駅方面に向かう通路を整備していて、街路樹などを植えていた。門司駅周辺の再開発の一環だろう。新九郎公園の場所をちゃんと調べずに来たため、40〜50分くらい社ノ木から東馬寄・下馬寄にかけてをうろうろし、やっと放課後の子供たちでいっぱいの新九郎公園を見つけ、片隅に建つ新九郎夫婦双孝碑を撮影する。新九郎・ミヨ夫婦は大変な親孝行ものとして知られ、時の小笠原藩主から米俵などを褒美としてもらい、大里の人々の誇りとして語り伝えられたそうだ。そういえば、5年生まで通っていた西門司小学校の校歌にも「孝子新九郎云々」という歌詞があったなぁ。
帰りに、グランディ金山堂に寄ってExcel VBAの初心者用の本を購入(VBAを勉強することにしました)後、みずき通りのドレスデンで、母親にホワイト・デーで渡すリンゴのタルトを買う。母親に渡した後、お相伴にあずかったが、これが大変美味しかった。(※620LX日記より)
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2003年03月20日

和布刈を中心にデジカメ撮影

携帯版@門司用の画像を撮りに門司港へ行く。今回は和布刈中心に撮影することにした。
小森江から電車に乗ったが、どうやら新型の車両らしく、ドア近くの吊り輪が円形に取り付けられており、また窓は外からは内部が見え難くなっていて、陽の光を除けるための幕が無い。紫外線や熱を遮断するガラスでも使っているのだろうか。
門司港に着いてから、群芳閣、山口銀行門司支店、老松公園、慰霊碑、関門国道トンネル入口などを撮影し、和布刈へ歩いていく。ノーフォーク広場に寄ってから和布刈公園に向かう長い坂道を、いっぱい汗をかきながら上る。途中、明石与次兵衛塔、めかり第二展望台を撮影する。ここから見る門司港の眺めは素晴らしい。山頂に着いてから、めかり山荘や世界平和パゴダを撮影する。長い間門司に住んでいて、和布刈には何度も来ているが、パゴダを間近に見るのは初めてである。
世界平和パゴダ
パゴダ入り口の入場券売り場から、田野浦と旧門司米穀倉庫の連なりが見えた。そう言えば、倉庫でさだまさしの映画「精霊流し」のロケが数日前におこなわれたらしい。知ってたら見物に行ったのになぁ。中村汀女句碑を撮影した後、門司城址のある古城山の山頂に向かう。戦前は要塞だったなごりからか、途中防空壕だか弾薬庫のような穴がある。ドコモの基地局も建っているが、ここからだとかなり広い範囲をカバー出来るんだろうなぁ。山頂に着くと、「門司城址」のかなり大きな石碑があった。ここからは関門海峡が一望でき、門司だけでなく、下関や小倉、遠く八幡の街まで見える。下関の火の山から見た眺めが心に残ったが、古城山からの眺めも非常に素晴らしい。
関門海峡
山頂から海水プール方向へ下っていく。唐人墓を撮影後、観潮遊歩道を歩いて和布刈神社へ向かう。神社近くに来ると、若松屋が取り壊されているのがわかった。新しい店舗はすぐ横にあるが、あの古く懐かしい雰囲気はなくなってしまったなぁ。和布刈神社でいくつか文学碑(宗祇や松本清張)を撮影し、再度観潮遊歩道をノーフォーク広場まで進み、そこから門司港の街へ戻る。門司信用金庫、大分銀行跡、福岡中央銀行、門司通信電気レトロ館、明治屋、山城屋跡、旧門司三井倶楽部、門司港駅構内の帰り水などを撮影して(なんか洗面所が男女とも使用禁止になってたなぁ)、帰路に着く。今日もかなり疲れた。夜、100枚近くの画像を整理して就寝。
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2003年03月23日

畑・恒見方面へデジカメ撮影

今日も携帯版@門司用の画像不足分を撮りに新門司方面へ行く。結局今日も歩き通しだったなぁ。鹿喰トンネルをくぐり、まずは玉泉寺へ行き、本堂や前回節分で来た時に見た大積隆鎮の墓や阿南哲朗の民謡碑などを撮影する。
大積隆鎮の墓
本堂からは読経の声が聞こえた。バス通りに戻って海の方へ進むと、松ヶ江病院の先に日合神社という小さな神社があり、門司市長の銘がある大きな慰霊碑があった。ここでも数枚撮影。畑から右折し、バス通りの旧道を進んでいく。
地図で恒見八幡神社を確認し、恒見発着所バス停から左折する。川伝いに行くと社殿が見えてきた。途中、なんと玄文堂書店があった。ここには大学時代に一回だけ行ったきりで、あった場所も忘れてしまっていたのだが、外から覗いただけだったが、相変わらず古臭い感じがなんともいい。こういう本屋がどこにでもあったのだが、今は駐車場付きの郊外型の大型書店が多くなって、ちいさな本屋が無くなってきている。確かに本の品揃えなんかを考えれば、大型書店は歓迎するべきかもしれない。でもちいさなところには時々絶版のものが新品で置いてあったり、そこの店主の趣味なのか珍しい本や雑誌なんかがシリーズで置いてあったりして、ほんとに楽しいんですよねぇ。
神社の正面側に向かうと、神社では珍しく鳥居ではなく門がある。参拝してから撮影する。ここに来るのは初めてだが、拝殿も本殿も大きくて立派で、ちょっと驚いた。
恒見八幡神社
撮影が終わった後、バスに乗って、前回場所がわからなかった殿墓に行こうと思い、バス停で時刻表を見るが、黒川行きのバスは30分待たなければならなかったので、止めてフェリーターミナルへ行くことにした。二十田から右折し臨海道路へ出て、花王の工場横を過ぎて新門司大橋を渡り、阪九フェリーのターミナルに着く。大きな寺院のような第1ターミナルビルを中心に撮影する。丁度泉大津行きのフェリーが出港するところで、岸壁を離れる船を撮影する。船はほんとにいいなぁ、ゆったりしてて。
阪九フェリー
埋め立てで陸続きになった津村島が見える。明治の頃は石炭が採れていたらしい。日がだいぶ落ちてきたので、島には次回行くことにし、帰路に着く。途中今津の街中を通ったが、昔の海岸線と思われる場所に「友石氏上陸之地」なる小さな碑があった。友石氏とは何なんでしょう? これも調べてみるかなぁ。
友石氏上陸之地
途中玉泉寺の近くの丘の上にある鳥居に寄って(地図上は上宮となっているが、鳥居には豊前坊と書いてある)から帰る。
今度は柳城址に行こうと思うが、いまひとつ場所がよく分かっていないので、ちゃんと調べてからにしよう。(※620LX日記より)
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2003年03月30日

藤松方面を中心にデジカメ撮影

大里本町の方へ行き、桜満開の佛願寺や八坂神社と、携帯版@門司用の画像に大専寺、明治天皇紀念之松碑を撮る。
佛願寺
それから藤松方面へ行き、途中とみやま藤松店でオレンジジュースのパックを買ってから(ここで買い物するのは30年振りかなぁ)、志津摩橋と大里高校前の道祖神を撮影。ここの道祖神にシュメール古拙文字が刻まれていることを、大里高校の考古学クラブの生徒が発見したらしい。世界各地で見つかっている古拙文字との同一性も実証されたことから、ここにもシュメール人が来ていたと想定されるということだ。
大里高校前の道祖神
大里高校前から青葉台方面へ向かい、村中川上流へ山道をしばらく進んでいくと、今日のメインである清正公堂に着いた。明治時代にある女性の夢枕に加藤清正の霊が立ち、肥後国から連れて帰って祭れというお告げがあり、有志数名が熊本に赴き、清正公を譲り受け(って何を譲り受けたんだろ?)この地にお堂を建てて祭ったということだ。20年前に、この近くに住んでいたが、ここの存在は知らなかったなぁ。
清正公堂
お堂自体は昭和28年の大水害で流れてしまい、今のものは昭和47年に再建されたものだそうだ。ここで30数枚撮影。
山道を下りて、懐かしの青葉台公園に行く。ここに来るのは約27年振りですね。ここの近所に小学校の友達が住んでいて、まだ工事中で赤土だらけの場所に基地を作ったり、子供会のソフトボールの練習に来たりとかしてました。公園で一番高い場所に上り、大里の街を眺める。ここから見ると、街全体を見渡すことが出来、遠くに関門橋や下関が霞んで見える。光町方向に坂を下り、新原町の全国鉄道殉職者弔魂堂へ向かい、前回撮っていなかった「清水正次郎之碑」を撮影。その後、帰宅途中に御所神社で数枚撮って今日はおしまい。(※620LX日記より)
清水正次郎之碑
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2003年04月03日

殿墓、旧桜隧道、清見、レトロ地区へ

天気予報は雨だったが、全く降る気配が無い。それでまた携帯版@門司用の画像を撮りに門司港へ行くことにした。小森江駅からJRで門司港へ行き、今月末にオープンする海峡ドラマシップや1号上屋に描かれたわたせせいぞう氏の壁画などを撮る。マリンゲートもじに行くと、巌流島行きの船がちょうど戻ってきた。武蔵人気もあり、しばらくは乗客も多いことだろう。
殿墓に行くため、門司港駅前から白野江行きのバスに乗り、八木田前で下車する。前回同様、「殿墓」と書かれた看板に従い、狭い路地を入っていく。T字路になったところに、畑仕事をしているオバさんが居たので、場所を尋ねてみると、突き当たって左を少し上ってすぐのところにあると言う。途中放し飼いの犬に吠えられながら、その通りに行くと、竹林の中に古い墓が数基見えた。
殿墓
殿墓の説明する案内板があった。数えてみるとたしかに18基あるが、一番左のものは完全に崩れてしまっている。犬が吠えている声がまだ聞こえる。手を合わせた後、全体と1基ずつの写真を撮る。石の塔はひとつひとつ形が違っており、それぞれが歴史の重みを感じさせる。道に戻ると、さっき吠えていた犬が犬小屋に引っ込んでいた。あまりにも吠えるので飼い主が鎖でつないでしまったらしい。
桜トンネル横の坂道を上り、しばらく行くと旧桜隧道があった。このトンネルは1914(大正3)年に開通し、これにより門司市と東郷村間の往来が便利になり、東郷村が門司市と合併するきっかけとなったそうだ。新しい桜トンネルは門司インターチェンジが近いことから、かなりの交通量があってうるさいが、こちらは道幅も狭く、通る車も人も少なくて静かだ。
旧桜隧道
長谷から谷町を歩いていく。この辺りはレンガ塀が多く、古いがなかなか大きな家が多い。門司の"山の手"といったところだったのだろう。旧門司三井倶楽部も元々ここにあったし、今も旧三井物産社宅がモダンなたたずまいを見せている。
旧三井物産社宅
隣にあるカボチャドキア国立美術館(今日は閉館してました)も元々は「菱和荘」という社員寮だったそうだ。同じ門司でも、この雰囲気は大里の街にはない。それから随分山の上の方まで家が建っている。門司港が開港してから爆発的に人口が増えたという話だし、平地の少ない土地だけに、山の斜面に建てざるをえなかったのだろう。
歩いてレトロ地区まで戻り、出光美術館や海峡プラザなどを撮る。これで本日の撮影は終了。再びJRに乗り小森江まで帰る。(※620LX日記より)
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2003年04月06日

白野江、青浜、部埼、太刀浦、田野浦・・・

今日も午後から携帯版@門司用のデジカメ撮影に出る。春用の薄いジャケットを着ていたが、暖かいというより暑い位の気候である。小森江から電車で門司港へ行き、金山堂書店や宗文堂に寄ったあと、桟橋通りからバスに乗り白野江植物公園へ行く。入場料を払い園内に入ると、明日から天気が悪くなる予報が出ていて今日が花見の最後になるだろうということで、家族連れやアベックで賑わっている。
白野江植物公園
桜はすでに葉が出始めているが、まだ花は散ってはおらず、遠くから見ると薄いピンクの霞のように見えて奇麗である。花見の風景や県の指定天然記念物になっているサトザクラや山頂広場からの眺望などを撮影。
公園から海岸沿いに歩き、いろいろ撮影しながら白野江を抜け青浜へ向かう。途中で"日本三大奇石"梅花石が出るという海岸に寄り、青浜に着いてから僧清虚の墓を撮影。60歳だった清虚は大分・竹田津から高野山へ向かう途中に青浜沖の海が航行困難であることを知り、部埼の山上で徹夜で火を焚いて航行の目標とし、亡くなるまでの13年間一日も欠かすことなく続けた善行僧である。清虚亡き後は青浜村民が焚火事業を引き継ぎ、後に明治政府が国策として灯台を建てることになったということだ。さらに歩き続けて部埼へ行く。巨大で白い清虚像が見え始めたが、その先の道路が改修工事中ということで通行止めになっている。どうしたものかと辺りを見回すと、海岸へ下りれば像の場所まで行けそうなことが分かった。大きなゴツゴツした石のころがる海岸を難儀しながら歩き、清虚像の下まで辿り着いた。
僧清虚像
ここには大学時代に友人と車で来て以来なので、15,6年振りになるだろうか。像はもっと大きかった記憶があるが、ちょっと顔が変だった(^^;)というのは記憶通りだった。数枚撮影した後、灯台へ上る道を探す。どうも通行止めになっているところにあるようだ。一応辺りを見回して人がいないことを確認してから柵の中に入る(^^;)と、案内板の横に上り口があった。右左に曲がる階段を上っていくと、白い部埼灯台があった。
部埼灯台
九州で3番目の洋式灯台として1872(明治5)年に建てられ、現在は無人になっている。灯台やここから見える海峡の風景を撮影し、山を下りる。
ここから白野江に戻るか太刀浦まで行くかを考えた結果、かなり足が疲れているのでゴツゴツした石の海岸を歩くのは嫌だし、せっかくここまで来たので「太刀の井戸」も撮影したいと思い、結局太刀浦へ歩いていくことにした。灯台のある山の裏辺りは大規模な砕石場になっていて、普通の日はトラックの往来が凄いという話だが、日曜日なので一台もトラックは動かなかった。第二コンテナターミナルを右手に見ながら歩き、太刀浦トンネルへ向かう道との交差点を曲がり、しばらく行くと、左側に古い長屋が見えた。田郷氏の冊子では長屋の中に「太刀の井戸」があると書いていたので、近づくとそれらしい井戸がある。しかし案内板がある訳でもなく、近くに人もいなかったので確証がない。とりあえず撮影する。
太刀の井戸
そのまま太刀浦のバス停に着いたが、バスの発車時間まで50分近くもある。バス停上方にある貴布禰神社にお参りした後、田野浦病院前の自販機で買ったコーラを飲みながら田野浦まで歩く。田野浦の街並みや春日神社の階段下の灯篭などを撮影する。春日神社前バス停からバスに乗り、桟橋通りで乗り換えて大里東口まで帰り、そこから歩いて自宅に戻る。(※620LX日記より)
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2003年04月13日

笹尾山砲台跡、柳城址などを撮影

午前中、とりあえず国民の義務を果たす。福岡県では今回県知事と県議会議員の選挙になっていて、特に県議は門司区選出が定数3から2に減ったので、現職のうち1名は必ず落ちてしまうという激戦になっています。深夜には当落がわかるようですが、さて誰が選ばれるんでしょう。
午後から例のデジカメ撮影。歩いて「武蔵小次郎祭り」をやっている手向山の方へ行く。山頂まで行くと、多くの人と露店で賑わっている。この祭りに来たのは(多分)初めてだ。砲台跡をステージにして踊りや歌の出し物や、小次郎碑の前で小笠原流の茶会(といってもお客はパイプ椅子に座ってましたが)をやっていたりしている。特に目的はなく、どんなもんかを見に来ただけなので、10分位だけいてから、隣の笹尾山の方へ向かう。途中、住宅地内の公園の隅にある小笠原お茶屋跡を撮影した後、配水池の方へ登っていく。配水池の入り口横に「笹尾砲台跡」の石碑が立っていた。明治期に作られた海岸砲台で、28cm榴弾砲が10門設置されていたそうだ。日露戦争で、そのうちの2門が輸送され旅順攻撃に使われたという。まわりには砲台の名残のようなものが見当たらなかったので、もう少し山の中へ続く道を歩いていき、1軒の民家(こんな所に家があったなんて、ちょっと驚いた)の横を抜けて、しばらく行くと、入り口や窓部分が塞がれていない防空壕らしきものが見えた。近づくと入り口に「第四号」と旧漢字で書いてあり、どうやら手向山のものと同様に弾薬庫のようだ。
笹尾山砲台跡
中に入ってみると、きれいにアーチ状に組まれたレンガがきれいに残っている。子供の頃、まだ入り口が塞がれる前の手向山の弾薬庫にも入ったことがあり、中はチョークで書かれた落書きだらけだったことを覚えているが、ここはきれいなままだ。ここで10数枚撮影。大里の街の風景も撮影。ここから見ると結構絶景である。
光町側の道から山を下り、西新町公園前の中野橋(長州藩とこの地で戦った小倉藩の中野一角隊長の名にちなむ)、藤松道祖神の近くにある子安観音、藤松けやき通りを桃山町方向に歩いていき、大里公園や門司競輪場跡を撮影。戸上神社にちょっと寄って(社殿は完成に近づきつつある)、バス通りを寺内へ進む。柳城址へ行こうとして、山へ向かう1本の道を登っていくが、行き止まりになっていた。近くにテニスボールで遊ぶ御老体がいらしたので尋ねてみると、柳城址への道はもう一本戸ノ上中学校前バス停側の道を行った方がよいと教えられた。お礼を言ってから坂を下り、教えられた道(企救自然歩道の看板がある道)を再度登っていく。5分程度行くと、ちゃんと整形された石で造られた階段のある場所があり、いくつかの石碑が立っている。石碑には「X力観音(Xの部分は読めなかった)」の文字が刻まれており、かつては観音がまつられていたのであろう。そこから長い階段を上り、若干険しい山道を登っていく。道が戸上山頂と戸上神社方面に分かれる所に行き先を示す表示板があり、そこから山頂方向へ2,3分上ったところで、疲れたので一休みしようと登ってきた道を振り向いたところ、右側の草むらの中に柳城址の石碑が立っていた(^^;)。
柳城址
ここで気付かなかったら、もっと上まで登ってたなぁ。ラッキーと言うべきか・・・。もちろん数枚撮影。
ちょっと休憩してから山道を下り、寺内の僧西入の碑(大蛇を退治し村民の難を救ったらしい)を撮影し帰宅。(※620LX日記より)
僧西入の碑
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2003年04月15日

黄金塚と関門鉄道トンネル

午後、母親からの頼まれ事も兼ねて外出し、黄金塚と関門鉄道トンネル入り口(入場券160円払って門司駅ホームからのズーム撮影でした)と門司駅のホームを撮影。
門司駅ホーム
最近駅でよく警官を見ることが多いのですが、なにかあったんですかねぇ。帰りに久しぶりにゲオに寄ったのですが、つい衝動でシルバーのGBA−SP(新品)を12,480円で購入。合わせてサッカーゲーム(こっちは中古)も購入しました。(※620LX日記より)
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2003年04月18日

七ツ石探索、豊前坊、城山霊園

例のごとく、デジカメ撮影に出る。今日は曇っているが、やはり気温が高い。
まずは以前探して見つけられなかった「七つ石」を探すことにし、七つ石峠に向かう。今回は時間もあるので徹底的に探すことにした。大粒の汗をかきながら、1時間の間に山の中や立ち入り禁止になっている場所(なんか火事で燃えた廃屋がある)などにも立ち入ってみたが、全然見つからない。廃屋のまわりには小さな仏像が置かれた祠や江戸時代の墓があるので、一番あやしいと思うのだが、やはり無い。これはもう誰かに聞いてみるしかないなぁ。
「七つ石」探索は打ち切って、鹿喰トンネルをくぐり豊前坊に向かう。上宮へ向かう階段を登っていくと、途中、木の枝にYシャツとネクタイが縛りつけられている・・・? 何なのか分からないまま更に登っていくと、上からシャツ1枚のオジさん下りてきた。二、三言葉を交わすと、運動のために上り下りしているそうで、既に4往復目らしい。そのまま登っていき、木に囲まれた小さな上宮のある場所に着いた。
豊前坊上宮
ひと休みしてから撮影を始めると、先程のオジさんが登ってきた。門司自動車学校の教官だそうで、暇があればここを上り下りしているそうだ。オジさんがひと休みして下りていった後、こちらは続けて上宮や階段まわりの灯篭を撮影。まとわりついてくる蚊を払いながら、階段を下りる。
玉泉寺近くの下宮を撮影してから城山霊園に向かう。城山霊園内をうろうろしながら大久保池を中心に撮影。こうやって改めて歩きまわると結構広いなぁ。
城山霊園
新九郎の墓がどこかにあるはずだが、ちょっと分からないなぁ。山登りが続いて疲れたので、今回はこれで切り上げる。(※620LX日記より)
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