10年近くをかけた門司港地区を中心としたレトロ観光事業がやっと軌道に乗り始めたようなので,直接区民が増える要因にはならないですが,観光に来てくれる人たちに門司に魅力を感じてもらえれば,「住む」街としての人気も次第に上がってくるのでは,という甘い期待もあるのですが。本当にいい街ですよ,門司は。(「620LX日記」より)
2000年07月22日
大里高校統合化の話
福岡県立大里(だいり)高校が,最近門司区内の他の公立高校と統合されることが発表されました。北九州市は私の生まれた年に5つの市が合併して,九州初の100万都市となりましたが,鉄鋼業界の不況や筑豊地方の炭坑の閉鎖,さらに商業都市である福岡(博多)市に行政の機能も集中し始めたことで,人口が次第に減っていく傾向にあり,関門トンネルが出来たことで既に交通の要所としての機能を失っていた門司は人口の流出を止める手だてもなく,この人口の減少(=就学する子供も減少)が4校あった公立高校を2校ずつ統合することになったようです。事実関係の正確なところは知らないので,もしかしたら間違っているかもしれないので,これは私見ということで読んでください。
10年近くをかけた門司港地区を中心としたレトロ観光事業がやっと軌道に乗り始めたようなので,直接区民が増える要因にはならないですが,観光に来てくれる人たちに門司に魅力を感じてもらえれば,「住む」街としての人気も次第に上がってくるのでは,という甘い期待もあるのですが。本当にいい街ですよ,門司は。(「620LX日記」より)
10年近くをかけた門司港地区を中心としたレトロ観光事業がやっと軌道に乗り始めたようなので,直接区民が増える要因にはならないですが,観光に来てくれる人たちに門司に魅力を感じてもらえれば,「住む」街としての人気も次第に上がってくるのでは,という甘い期待もあるのですが。本当にいい街ですよ,門司は。(「620LX日記」より)
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2000年11月25日
西鉄北九州線廃止
かつて北九州市全体に路線が広がっていた路面電車,西鉄北九州線が本日をもって,とうとう廃止されました。私の地元である門司では既に十数年前に廃止されていますが,西鉄の路面電車は,小さい頃よく利用していたため,なにか寂しい気持ちです。
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2001年05月08日
初めてのレトロフェスタ、門司のデジカメ撮影を始める
連休後半4日間は門司に戻って,門司や小倉の街をデジカメ撮影したり,門司港レトロ地区で毎年催されているレトロフェスタに行ったりしました。レトロフェスタは大いに賑わっていて,音楽に合わせた花火とレーザー光線のショーは,短時間でしたが,非常にきれいでした。レトロフェスタに毎年来ているモアベターという4人組のボーカルグループのミニライブもよかったです。

うちの親は去年も聞いたそうで「良いよ,良いよ」と言うだけあって,昼・夜の部両方見てしまいました。ゴスペラーズのような最近アカペラで歌うグループが流行ってこともあり,テントで売っていた彼らのCDも去年以上によく売れていたようです。
あとは,大里(戸ノ上神社,御所神社,サッポロビール九州工場跡,大里宿場跡),門司港(レトロ地区,栄町商店街,門司区役所など),小倉(紫川にかかる様々な橋,チャチャタウン,小倉城など)をデジカメで撮影しました。思えば故郷の写真をこんなに撮ったのは,ほとんど初めてと言っていいかな。今回撮った画像の何枚かはトップページで後日公開することになると思います。

そう言えば,写真家の藤原新也さんって門司港出身だったんですね。小倉のクエストで門司港で撮った写真集を偶然見つけて初めて知りました。「全東洋街道」や「メメント・モリ」のような代表的な写真集しか知らないのですが(^^;,アジアを中心とした写真が多く,印象的で好きです。「人間は犬に食われるほど自由だ」でしたっけ?この言葉も凄いですよね。

うちの親は去年も聞いたそうで「良いよ,良いよ」と言うだけあって,昼・夜の部両方見てしまいました。ゴスペラーズのような最近アカペラで歌うグループが流行ってこともあり,テントで売っていた彼らのCDも去年以上によく売れていたようです。
あとは,大里(戸ノ上神社,御所神社,サッポロビール九州工場跡,大里宿場跡),門司港(レトロ地区,栄町商店街,門司区役所など),小倉(紫川にかかる様々な橋,チャチャタウン,小倉城など)をデジカメで撮影しました。思えば故郷の写真をこんなに撮ったのは,ほとんど初めてと言っていいかな。今回撮った画像の何枚かはトップページで後日公開することになると思います。

そう言えば,写真家の藤原新也さんって門司港出身だったんですね。小倉のクエストで門司港で撮った写真集を偶然見つけて初めて知りました。「全東洋街道」や「メメント・モリ」のような代表的な写真集しか知らないのですが(^^;,アジアを中心とした写真が多く,印象的で好きです。「人間は犬に食われるほど自由だ」でしたっけ?この言葉も凄いですよね。
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2001年06月23日
「出没!アド街ック天国」は門司の回だったそうで
ザ・テレビジョンを見ると、今夜の「出没!アド街ック天国」は門司だったそうですが、広島にはテレ東系のキー局が無いので見ることが出来ません(;_;)。不定期に放送があったりするので、それに期待しましょう。
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2001年07月07日
「出没!アド街ック天国」を見て
昨日録画した「出没!アド街ック天国」の門司の放送分を見ました。門司港のレトロ事業は、私が門司を離れてから始まったので、知らないことも多かったのはしかたないとして、焼きカレーなんて初めて聞きました(もしかして門司港ローカル?)。私の住んでいたのは門司とはいっても大里地区(なのでミンズラーメンはもちろん知ってました)の一番小倉寄りの場所だったので、買い物にも遊びにも小倉に出る方が多かったし、門司港方面に行っても、閉店してしまった山城屋や和刈神社、めかり公園、関門大橋といったところしか馴染みがなかったしねぇ。それにしても焼きカレー、おいしそうだったなぁ。今度帰った時に行ってみましょう。
テムザックが門司の会社で製作されたなんて全然知りませんでした。テレビで何回か見たことがあったのですが、へぇーという感じです。
テムザックが門司の会社で製作されたなんて全然知りませんでした。テレビで何回か見たことがあったのですが、へぇーという感じです。
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2001年08月08日
戸ノ上神社本殿全焼の報
同窓会の公式HPの掲示板で、地元の戸ノ上神社の本殿が全焼したことを知りました。うちの両親が結婚式を挙げたのをはじめ、私のお宮参りもこの神社だったので、すごくショックでした。今年5月に門司に帰った時にデジカメで数枚撮ったことが、せめてもの慰めになります。出火の原因はなんだったんだろう・・・。
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2002年01月09日
年明け以降の話をまとめて
先ずは年が明けてからの話を書くと、元旦から2日間の北九州地方の天気は最悪で、雨は降るし寒いし、結局実家で一日中テレビを観ながらお酒を飲んで過ごしました。3日はやっと外出出来るような天候になり、家族で地元の戸ノ上神社(以前書きましたが、原因不明の火事で本殿が焼失していて、現在は仮の粗末な建物に注連縄が飾られています。本殿の再建は来年の10月の予定だそうです)、小倉の菅原神社(ここはいつも人が少ないです)と八坂神社(小倉城内にある小倉では一番メジャーな神社で人出も多いです)へ詣で(寒かったので海の傍にある和布刈神社は敬遠しました)、そのあとチャチャタウンの大観覧車に乗ったりして過ごしました。

4日はまた天候不順で、所用で少し小倉に出た以外は1日家でボーとテレビを観るか飲むか昼寝するかしていました。この頃になると、かなりお腹が張ってきて、かなりズボンが苦しい状態になり、幾分改善されはしたものの現在でも元の状態には復旧しておりません(^^;。5日は久留米へ日帰りで外出。
6日は天気に恵まれたので、苦しいお腹を少しでもへこますために、デジカメ撮影に外出しました。今回は子供の頃に20年間住んでいた門司の藤松地区へ行きました。ここを訪れるのは約15年振りなのですが、今回行くことにしたのは、初夢(?だったと思う)で住んでいた頃よく通っていた橋を見上げている夢を何故か見たためで、ちょっと懐かしくなり、今どんな風になっているのか見に行ってみようという気になったからでした。行ってみると、藤松のバス通りも車がほとんど無くて、昔と変わらず静かだったですねぇ(寂れていると言う方が適切かもしれませんが・・・)。小学1年生まで住んでいた木造アパート、近所の子と一緒に遊んだ公園、よく通った旧横光耳鼻科や中村医院、オルガンを習っていた天使園、西門司小学校までの通学路、小学校の時の同級生達の家、初恋(^^;)の女の子の住んでいた家、藤松小学校の運動場、弟と一緒に習っていた書道教室、別院の幼稚園へ通園するためにひとりでバスを待っていた藤松公団前のバス停、家から5分で通えた大里高校の裏門、小学2年生から大学入学直後まで住んでいた2階建ての借家、雨が降らないとほとんど水が無い川、近所の坂道や階段等々、懐かしい風景をどんどんデジカメに収めました。

夕方撮影から帰えると、母親から藤松の借家の大家さんが今朝亡くなったという電話が昼過ぎにあったことを告げられました。・・・偶然なのかなぁ。それとも?

4日はまた天候不順で、所用で少し小倉に出た以外は1日家でボーとテレビを観るか飲むか昼寝するかしていました。この頃になると、かなりお腹が張ってきて、かなりズボンが苦しい状態になり、幾分改善されはしたものの現在でも元の状態には復旧しておりません(^^;。5日は久留米へ日帰りで外出。
6日は天気に恵まれたので、苦しいお腹を少しでもへこますために、デジカメ撮影に外出しました。今回は子供の頃に20年間住んでいた門司の藤松地区へ行きました。ここを訪れるのは約15年振りなのですが、今回行くことにしたのは、初夢(?だったと思う)で住んでいた頃よく通っていた橋を見上げている夢を何故か見たためで、ちょっと懐かしくなり、今どんな風になっているのか見に行ってみようという気になったからでした。行ってみると、藤松のバス通りも車がほとんど無くて、昔と変わらず静かだったですねぇ(寂れていると言う方が適切かもしれませんが・・・)。小学1年生まで住んでいた木造アパート、近所の子と一緒に遊んだ公園、よく通った旧横光耳鼻科や中村医院、オルガンを習っていた天使園、西門司小学校までの通学路、小学校の時の同級生達の家、初恋(^^;)の女の子の住んでいた家、藤松小学校の運動場、弟と一緒に習っていた書道教室、別院の幼稚園へ通園するためにひとりでバスを待っていた藤松公団前のバス停、家から5分で通えた大里高校の裏門、小学2年生から大学入学直後まで住んでいた2階建ての借家、雨が降らないとほとんど水が無い川、近所の坂道や階段等々、懐かしい風景をどんどんデジカメに収めました。

夕方撮影から帰えると、母親から藤松の借家の大家さんが今朝亡くなったという電話が昼過ぎにあったことを告げられました。・・・偶然なのかなぁ。それとも?
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2002年04月02日
2002年05月01日
帰省
約7分遅れで小倉に着く。鹿児島本線に乗り換え、14時2分に小倉を出て門司まで。
門司駅で買い物に出ていた両親と合流し、実家に戻る。
門司駅で買い物に出ていた両親と合流し、実家に戻る。
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2002年05月02日
百科事典の思い出
午前中、実家の本棚にある百科辞典を引き出して、久しぶりに読む。小学生の頃、日曜日の朝は、ベッドに寝たまま百科辞典を読むことが習慣になっていて、なかなか楽しかったことを思い出す。
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2002年05月03日
雨のゴールデン・ウィーク
今年のGWは天気には恵まれないらしい。家族で門司港から出る連絡船で唐戸に渡り、下関でおこなわれる源平船合戦や先帝祭を見物がてら、新しくなった唐戸市場に行くことにした。が、車で11時半頃門司港に着いた途端、重たい雲から雨が落ちてきた。駐車場から歩いて、レトロハイマートの横を過ぎた辺りで、局地的な強風のため父親から借りた折り畳み傘の骨が折れてしまった。代わりの傘を車に取りに戻り、再びレトロハイマートを過ぎ、ブルーウイングもじ(日本で唯一の歩行者専用のはね橋)を渡り、連絡船乗り場のマリンゲートに着くと、船を待つ200人程の行列が出来ていた。約1時間半待ちという情報が待ち客の間で飛び交う。私の両親は、もう40年以上門司に住んでいるのに、一度も関門海峡を船で渡ったことがないそうで、時間に余裕もあるし、折角なので待つことにした。連絡船は2隻でフル稼働している様で、思っていたよりも早く乗船できそうだ。

待っている間に、雨も小康状態になり、約1時間弱で90人乗りの小型船に乗れた。唐戸まではたったの7分程度だが、それでも船に乗るのはいつも楽しい気分がする。悪天候のわりに思いの他波の立っていない海の上をを船は進み、対岸の海響館(新しい下関の水族館)が見る見る近付いてくる。
唐戸桟橋に着くと、また雨が強くなった。連休前にオープンしたばかりのカモンワーフ(土産物屋や軽食の店が入っている)に寄り、まずはトイレ休憩(^^;。
そこで悪天候の為、源平船合戦が中止になったというアナウンスを聞く。遠くから観客も来ていた様だが(船で一緒になったカップルは、長崎から来たそうである)、まぁこの天気では仕方ない。
新しくなった唐戸市場に行く。屋根が非常に高く、開放的で気持ちがいい。市場というと、ちょっと薄暗くてイメージがあるが、建物が新しいせいもあり、非常にきれいだ。昔は一般客は入れなかったそうだが、今は自由に買物も出来、2階には小さいながらも一般客向けに回転寿司や定食屋などもある。この定食屋は2,3日前に地元のTVで、安くて美味しい店として紹介されたばかりだそうで、店内に入れない人達で行列が出来ている。記憶は曖昧だが、アジ定食が650円だっただろうか、首都圏に住む人間にとっては驚くほど安い。回転寿司の方も、店の外から見た限り、昨日行った小倉の回転寿司よりも全体的にかなり安いようだ。この定食屋で昼食のつもりだったが、今から並ぶのもちょっとなんだし、休日ということで1階の市場の各店でいろいろなものを売っていたので、好きなものを買って食べることにした。

座る場所を確保してから、缶ビールとふぐのにぎり寿司(6カンで800円・・・ちょっと高い)やサザエのつぼ焼き(今日の朝の「はなまる」で、サザエの特集をやっていて、一緒に見ていた母親と即ゲットすることで一致した)などを買う。さすがにふぐは美味しく、サザエも旨かったので、ビールもグイグイと喉に入っていく。
いつの間にか外はドシャ降りになっていて、すぐ近くにある海響館も霞んでよく見えない。小1時間で、すっかりお腹を満たしてから、少し市場内を周って夕食のふぐの刺身を買った後、外を歩きまわることも出来ないので、再び連絡船に乗って門司に帰ることにした。やはり桟橋には人がかなり並んでいたが、今度は30分程度で船に乗れた。行きの時よりも波が荒くなっている。マリンゲートに着くと、もう下関へ渡ろうとする人もおらず、レトロ地区に出ていた露店のほとんどは店じまいしていた。多分明日も雨なので、今年のGW売り上げもあがらないだろう。そのまま家に帰り、今日は終わり。

待っている間に、雨も小康状態になり、約1時間弱で90人乗りの小型船に乗れた。唐戸まではたったの7分程度だが、それでも船に乗るのはいつも楽しい気分がする。悪天候のわりに思いの他波の立っていない海の上をを船は進み、対岸の海響館(新しい下関の水族館)が見る見る近付いてくる。
唐戸桟橋に着くと、また雨が強くなった。連休前にオープンしたばかりのカモンワーフ(土産物屋や軽食の店が入っている)に寄り、まずはトイレ休憩(^^;。
そこで悪天候の為、源平船合戦が中止になったというアナウンスを聞く。遠くから観客も来ていた様だが(船で一緒になったカップルは、長崎から来たそうである)、まぁこの天気では仕方ない。
新しくなった唐戸市場に行く。屋根が非常に高く、開放的で気持ちがいい。市場というと、ちょっと薄暗くてイメージがあるが、建物が新しいせいもあり、非常にきれいだ。昔は一般客は入れなかったそうだが、今は自由に買物も出来、2階には小さいながらも一般客向けに回転寿司や定食屋などもある。この定食屋は2,3日前に地元のTVで、安くて美味しい店として紹介されたばかりだそうで、店内に入れない人達で行列が出来ている。記憶は曖昧だが、アジ定食が650円だっただろうか、首都圏に住む人間にとっては驚くほど安い。回転寿司の方も、店の外から見た限り、昨日行った小倉の回転寿司よりも全体的にかなり安いようだ。この定食屋で昼食のつもりだったが、今から並ぶのもちょっとなんだし、休日ということで1階の市場の各店でいろいろなものを売っていたので、好きなものを買って食べることにした。

座る場所を確保してから、缶ビールとふぐのにぎり寿司(6カンで800円・・・ちょっと高い)やサザエのつぼ焼き(今日の朝の「はなまる」で、サザエの特集をやっていて、一緒に見ていた母親と即ゲットすることで一致した)などを買う。さすがにふぐは美味しく、サザエも旨かったので、ビールもグイグイと喉に入っていく。
いつの間にか外はドシャ降りになっていて、すぐ近くにある海響館も霞んでよく見えない。小1時間で、すっかりお腹を満たしてから、少し市場内を周って夕食のふぐの刺身を買った後、外を歩きまわることも出来ないので、再び連絡船に乗って門司に帰ることにした。やはり桟橋には人がかなり並んでいたが、今度は30分程度で船に乗れた。行きの時よりも波が荒くなっている。マリンゲートに着くと、もう下関へ渡ろうとする人もおらず、レトロ地区に出ていた露店のほとんどは店じまいしていた。多分明日も雨なので、今年のGW売り上げもあがらないだろう。そのまま家に帰り、今日は終わり。
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2002年05月05日
レトロフェスタ
やっと今日は朝から晴れだ。予定通り午後から門司港のレトロフェスタに行く。
門司港への道(旧電車通り)はかなり渋滞していたが、30年以上門司の街を仕事でもプライベートでも車で走り続けた父親の経験と勘(^^;で裏道を駆使して渋滞を抜け、最終的には199号線の方が空いているようだったので、そちらを通って門司港に着いた。
昨日一昨日と天候が悪かったせいもあるだろうが、レトロ地区は大変賑わっている。今は遠く離れてしまった故郷であるが、こう賑わってくれると単純に嬉しい。一人でも観光客が多く訪れてくれて、門司にいい印象を持って帰ってもらえれば、と願う。
丁度モアベターがミニライブ昼の部をやっていて、終了まで立ち見し、その後母親がレトロハイマートの31階にある展望室の招待券をもらっていたので、初めて上ってみた。展望室は思ったよりも広く、17倍まで拡大可能というデジタル望遠鏡が数台設置されている。ビールやつまみになるような食べ物を売るスタンドもあり、足元の絶景を眺めながら1杯やるのはきっと気持ちよいだろうなぁ。

上空103mから眺める関門海峡と門司港の街並みと対岸の下関の街は、まるで大きな河を挟んだ双子都市のようだ。夜10時まで利用が出来るということで、ここから見る夜景はきっときれいだろう。
展望室から降りて、旧門司税関の裏側のスペースにあるテーブルが比較的空いていたため、そこを確保し、ちょうど開閉時間だったブルーウィングや第一船だまり方向を眺めながら、家から持ってきた缶ビールを2本飲む。実際はダイエーで売っている1本98円の発泡酒であったが、少し熱いくらいの日差しを浴びながら、屋外で飲むビールは本当に美味しい。

門司港ホテルのシンプルな外観は、すっかりレトロ地区の新しいシンボル的存在に見える。海峡プラザ前では、この前西日本総合展示場に来ていたSISAYがライブをしているのが見える。
ビールを飲み終えた後、モアベターのミニライブまで約2時間ほどあったが、すでに席取りをしておくという両親と別れて、デジカメ撮影のため和布刈の方へ歩いて行く。途中で甲宗八幡神社に寄って撮影。

和布刈に行く時は必ずこの神社の前を通ることになるが、初詣などで来た記憶が無い。境内にはひと一人いなかった。本殿左右の建物の、裾野が大きく広がったような屋根が特徴的で、あまり見たことが無い形式だ。
それから、引き込み線のトンネル前の鳥居をくぐり、和布刈神社に向かう。この鳥居をくぐると、本当に和布刈に来たという実感が湧く。5分程度で境内に着き、本殿で参拝した後、デジカメ撮影する。

我が家では、戸ノ上神社と共に、正月の三社参りでの定番であった。和銅3年(710年)には朝廷にワカメを献上したという記録が残っているという、旧暦元旦の深夜におこなわれる和布刈神事が有名な由緒ある神社だが、海と山に挟まれた場所にあるため、境内はかなり狭い。巌島神社のように、静かな海に面した神社は多くあるが、これだけ潮の流れが激しい場所の神社は、また違った趣がある。
遊歩道に出てみたが、休日というのに、人も車も少ない気がする。昔は門司の観光名所というと、和布刈地区(後に関門橋も含むことになる)しかなく、子供の頃の記憶だと、日曜日などはいつも人が多かったのだが、やはりレトロ地区に客が取られているのであろうか。遊歩道沿いの店も閉まっていて、ちょっと寂しい気もする。
関門橋や海峡、ノーフォーク広場を撮影し、18時40分頃レトロ地区に戻り、ミニライブ会場である親水広場の席を取っていた両親と合流する。
19時になり、レトロフェスタでは恒例になったモアベターのミニライブが始まった。モアベターの出番前に去年も出ていたエターナルソウルという大分の女性ボーカルグループと久留米の聖歌隊の何とか?いうグループの歌があったため、正味40分程度(6,7曲は歌ったかな?)でしたが、今年のライブもなかなか良かった。去年は歌と歌の間のMCが結構面白かった記憶があったが、今年は時間が短かったせいか、トークが少なかった。

ミニライブ終了直後の20時からは、レトロフェスタを締めくくるレトロファンタジー(レーザー光線と花火のショー)。10分か15分程度と短かかったが、なかなか盛りあがった。
レトロファンタジーの終了で一斉に観客が帰路についたため、桟橋通りは大渋滞となったが、その先からは全然スムーズに車が流れ、21時に家に着く。
家に帰ってから、メガネのヨシダ(門司では老舗のメガネ屋さん)から誕生日祝いに送られてきたワイン(ロゼ)を飲み、今年のGWはこれで終わったなぁという気分になった。明日は"仕事の場所"である首都圏に帰らねばならない。
門司港への道(旧電車通り)はかなり渋滞していたが、30年以上門司の街を仕事でもプライベートでも車で走り続けた父親の経験と勘(^^;で裏道を駆使して渋滞を抜け、最終的には199号線の方が空いているようだったので、そちらを通って門司港に着いた。
昨日一昨日と天候が悪かったせいもあるだろうが、レトロ地区は大変賑わっている。今は遠く離れてしまった故郷であるが、こう賑わってくれると単純に嬉しい。一人でも観光客が多く訪れてくれて、門司にいい印象を持って帰ってもらえれば、と願う。
丁度モアベターがミニライブ昼の部をやっていて、終了まで立ち見し、その後母親がレトロハイマートの31階にある展望室の招待券をもらっていたので、初めて上ってみた。展望室は思ったよりも広く、17倍まで拡大可能というデジタル望遠鏡が数台設置されている。ビールやつまみになるような食べ物を売るスタンドもあり、足元の絶景を眺めながら1杯やるのはきっと気持ちよいだろうなぁ。

上空103mから眺める関門海峡と門司港の街並みと対岸の下関の街は、まるで大きな河を挟んだ双子都市のようだ。夜10時まで利用が出来るということで、ここから見る夜景はきっときれいだろう。
展望室から降りて、旧門司税関の裏側のスペースにあるテーブルが比較的空いていたため、そこを確保し、ちょうど開閉時間だったブルーウィングや第一船だまり方向を眺めながら、家から持ってきた缶ビールを2本飲む。実際はダイエーで売っている1本98円の発泡酒であったが、少し熱いくらいの日差しを浴びながら、屋外で飲むビールは本当に美味しい。

門司港ホテルのシンプルな外観は、すっかりレトロ地区の新しいシンボル的存在に見える。海峡プラザ前では、この前西日本総合展示場に来ていたSISAYがライブをしているのが見える。
ビールを飲み終えた後、モアベターのミニライブまで約2時間ほどあったが、すでに席取りをしておくという両親と別れて、デジカメ撮影のため和布刈の方へ歩いて行く。途中で甲宗八幡神社に寄って撮影。

和布刈に行く時は必ずこの神社の前を通ることになるが、初詣などで来た記憶が無い。境内にはひと一人いなかった。本殿左右の建物の、裾野が大きく広がったような屋根が特徴的で、あまり見たことが無い形式だ。
それから、引き込み線のトンネル前の鳥居をくぐり、和布刈神社に向かう。この鳥居をくぐると、本当に和布刈に来たという実感が湧く。5分程度で境内に着き、本殿で参拝した後、デジカメ撮影する。

我が家では、戸ノ上神社と共に、正月の三社参りでの定番であった。和銅3年(710年)には朝廷にワカメを献上したという記録が残っているという、旧暦元旦の深夜におこなわれる和布刈神事が有名な由緒ある神社だが、海と山に挟まれた場所にあるため、境内はかなり狭い。巌島神社のように、静かな海に面した神社は多くあるが、これだけ潮の流れが激しい場所の神社は、また違った趣がある。
遊歩道に出てみたが、休日というのに、人も車も少ない気がする。昔は門司の観光名所というと、和布刈地区(後に関門橋も含むことになる)しかなく、子供の頃の記憶だと、日曜日などはいつも人が多かったのだが、やはりレトロ地区に客が取られているのであろうか。遊歩道沿いの店も閉まっていて、ちょっと寂しい気もする。
関門橋や海峡、ノーフォーク広場を撮影し、18時40分頃レトロ地区に戻り、ミニライブ会場である親水広場の席を取っていた両親と合流する。
19時になり、レトロフェスタでは恒例になったモアベターのミニライブが始まった。モアベターの出番前に去年も出ていたエターナルソウルという大分の女性ボーカルグループと久留米の聖歌隊の何とか?いうグループの歌があったため、正味40分程度(6,7曲は歌ったかな?)でしたが、今年のライブもなかなか良かった。去年は歌と歌の間のMCが結構面白かった記憶があったが、今年は時間が短かったせいか、トークが少なかった。

ミニライブ終了直後の20時からは、レトロフェスタを締めくくるレトロファンタジー(レーザー光線と花火のショー)。10分か15分程度と短かかったが、なかなか盛りあがった。
レトロファンタジーの終了で一斉に観客が帰路についたため、桟橋通りは大渋滞となったが、その先からは全然スムーズに車が流れ、21時に家に着く。
家に帰ってから、メガネのヨシダ(門司では老舗のメガネ屋さん)から誕生日祝いに送られてきたワイン(ロゼ)を飲み、今年のGWはこれで終わったなぁという気分になった。明日は"仕事の場所"である首都圏に帰らねばならない。
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2002年05月25日
2002年05月26日
出自
母方の祖父の25回忌の法要があり、父親の車を運転して納骨堂のある小郡のお寺さんに向かう。祖父は昔門司の電電公社の局長だったことがあり、その局の建物が今の門司電気通信レトロ館ということです。父方の祖父も電電公社に勤めていて、そのつながりで長男(父親)と三女(母親)が見合いをして、私と弟が生まれました。私は祖父にとって初めての男の孫だったので、非常に可愛がられたということを母親や親戚からも聞かされていて、本当にやさしいおじいちゃんでした。(「620LX日記」より)
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2002年08月13日
関門海峡花火大会
本日は海峡花火大会が門司港と対岸の下関でおこなわれた。父親が招待券をもらっていたので約10年振りに会場で観ることにした。打ち上げ開始は20時だが、例年夕方から道路が混むので、15時には家を出て、小森江駅までは車で行き駐車場に停めてJRで門司港に行くつもりだったが、駅に着くと駐車場は既に満車で、入場ゲートの前にはまだ3台の駐車待ちがいた。普段は満車になることはないので、やはり花火見物の人たちの車が多いのだろう。すぐに空く可能性は低いと思ったので、近くにある門司市民病院の方まで行き、路上駐車が出来る場所を見つけて停める。そこから小森江駅へ歩いていくと、門司港へ向かう車で3号線は既に渋滞気味になっている。例年通り今年も臨時列車はあるが、まだこの時間には出ていない。駅で往復切符を買い、10分程待つと列車が来た。列車はかなり混み具合で、ギュウギュウ詰めという訳ではないが、身体の方向を変えるのは少し難しい程度。まぁ一駅なので問題無い。車窓から見る199号線もかなり混んでいる。門司港駅に着くと、やはり人が多い。花火会場に行くにはまだまだ早いので、駅から旧税関の方向へ歩く。旧税関裏で座る場所を見つけ、家から持ってきた発泡酒を父親と二人で飲み、しばらく時間をつぶす。まだまだ時間があったので、第一船だまりの周りをまわって出店をひやかす。はし巻きが1本200円なんか高いよなぁ。カクテルを出している店で、ジンやウォッカの瓶が並んでいるのを父親が目をつけて、結局1杯400円のスクリュードライバーとシンガポールなんとかというカクテルを買う。

そうこうするうちに19時になったので、人でごった返す海岸沿いの道を西海岸埋立地の会場に向かって歩く。いつもの年より客が多そうだ、と父親。

会場に着くと、既に招待席の7割近くは埋まっていて、空いた席を見つけてやっと落ち着く。会場の入場ゲート近くの出店でやきそば(1パック500円・・・高〜い(^^;))を買い、これを夕食にする。アルコールのせいで、かなりトイレが近くなっていたので仮設トイレに行ってみると、20人くらいの列が出来ていて、数箇所ある仮設トイレがほとんど同じ状況だったので、結局門司港駅の洗面所まで歩いて用を足す。駅からはまだまだ人が出てきており、会場方向へゆっくりと流れていく。

歩いて戻るうちに20時になり、入場ゲート近くで打ち上げが始まった。今年は下関は会場が2箇所あるようで、彦島の方からも花火があがっていた。目印がなく、暗くもあったので、取っておいた席がなかなか見つからず、5,6分うろうろして発見。やっとゆっくり花火見物が出来る。風が無いせいで、打ち上げた後の煙がなかなか退かず、次々に打ち上がる花火が煙に隠れてしまい、端っこしか見えないことも多かった。

しかし、大きく柳の枝のように海面近くまで火が伸びるもの、爆発するとハート型になるもの、螺旋を描いて上っていくものなど、間をおかずに次々打ち上げられる花火を十分堪能できた。何枚かデジカメでも撮影。その代わり、花火から出る紙やすすや綿状のものが降ってきて、顔や服が黒くなる。終了間近に小倉へパートへ出ていた母親と途中で合流。母親が言うには、20時半頃小倉から乗った列車はまだ満員状態で、門司港で降りる人もまだ多かったそうだ。この時間に来るということは、花火見物だけでなく夕涼みに来る人も多いということだろう。
21時をちょっと過ぎて、花火は終了。いっせいに観客が駅へ向かうのを見越して、後片付けが始まるまで、残った発泡酒を飲みながら、しばらく会場で待つことにする。30分程で会場を出ると、まだまだ人が多く、出店もまだ閉まっていない。ゆっくりした流れに合わせて歩いて駅に向かうと、駅前はまだまだ混雑していて、少し待ったくらいでは列車に乗れそうもない。母親が夕食がまだだったので、栄町商店街で何か食べようということになったが、けっこうどこも客が多い。何件か覗いてから、好々亭という店入る。この店は、父親がまだ会社で営業まわりをしていた頃、門司港で昼時になると、よく来ていたそうで、母親も独身時代(もう40年以上も前)に門司港の玉屋?の営業所かなんかに勤めていた頃の昼食によく来ていたらしい。ここでお好み焼きスペシャル(大)を注文する。ソースの香りがどことなく懐かしい。玉子が入り野菜もたっぷりで、値段が650円なのは嬉しい。
好々亭を出て、駅へ向かう。桟橋通りはまだまだ車の渋滞がひどく、交差点では警官が出て誘導していたが、信号が変わってもほとんど進まない。やはり車で来るのは止めた方がいい。22時半少し前になっているが、駅前の混雑はまったく変わっていない。駅入り口付近で福岡県警の人たちが入場規制をしている。しかたないので並んで、待つこと約1時間でやっと列車に乗れた。10分に1本の臨時列車も間に合わないようで、まだまだホームにも人が多く並んでいた。運良く座れたが、その後からもどんどん乗ってきて、あっと言う間に満員になる。小森江駅で下車すると、多くの人が3号線を門司港から歩いて帰っているのに会った。元気があればこれもいいかもしれない。
なんとかその日のうちに帰りつく。すすだらけの頭と汗だらけの身体をシャワーで洗い流した後、どっとベッドに倒れ込んで就寝。

そうこうするうちに19時になったので、人でごった返す海岸沿いの道を西海岸埋立地の会場に向かって歩く。いつもの年より客が多そうだ、と父親。

会場に着くと、既に招待席の7割近くは埋まっていて、空いた席を見つけてやっと落ち着く。会場の入場ゲート近くの出店でやきそば(1パック500円・・・高〜い(^^;))を買い、これを夕食にする。アルコールのせいで、かなりトイレが近くなっていたので仮設トイレに行ってみると、20人くらいの列が出来ていて、数箇所ある仮設トイレがほとんど同じ状況だったので、結局門司港駅の洗面所まで歩いて用を足す。駅からはまだまだ人が出てきており、会場方向へゆっくりと流れていく。

歩いて戻るうちに20時になり、入場ゲート近くで打ち上げが始まった。今年は下関は会場が2箇所あるようで、彦島の方からも花火があがっていた。目印がなく、暗くもあったので、取っておいた席がなかなか見つからず、5,6分うろうろして発見。やっとゆっくり花火見物が出来る。風が無いせいで、打ち上げた後の煙がなかなか退かず、次々に打ち上がる花火が煙に隠れてしまい、端っこしか見えないことも多かった。

しかし、大きく柳の枝のように海面近くまで火が伸びるもの、爆発するとハート型になるもの、螺旋を描いて上っていくものなど、間をおかずに次々打ち上げられる花火を十分堪能できた。何枚かデジカメでも撮影。その代わり、花火から出る紙やすすや綿状のものが降ってきて、顔や服が黒くなる。終了間近に小倉へパートへ出ていた母親と途中で合流。母親が言うには、20時半頃小倉から乗った列車はまだ満員状態で、門司港で降りる人もまだ多かったそうだ。この時間に来るということは、花火見物だけでなく夕涼みに来る人も多いということだろう。
21時をちょっと過ぎて、花火は終了。いっせいに観客が駅へ向かうのを見越して、後片付けが始まるまで、残った発泡酒を飲みながら、しばらく会場で待つことにする。30分程で会場を出ると、まだまだ人が多く、出店もまだ閉まっていない。ゆっくりした流れに合わせて歩いて駅に向かうと、駅前はまだまだ混雑していて、少し待ったくらいでは列車に乗れそうもない。母親が夕食がまだだったので、栄町商店街で何か食べようということになったが、けっこうどこも客が多い。何件か覗いてから、好々亭という店入る。この店は、父親がまだ会社で営業まわりをしていた頃、門司港で昼時になると、よく来ていたそうで、母親も独身時代(もう40年以上も前)に門司港の玉屋?の営業所かなんかに勤めていた頃の昼食によく来ていたらしい。ここでお好み焼きスペシャル(大)を注文する。ソースの香りがどことなく懐かしい。玉子が入り野菜もたっぷりで、値段が650円なのは嬉しい。
好々亭を出て、駅へ向かう。桟橋通りはまだまだ車の渋滞がひどく、交差点では警官が出て誘導していたが、信号が変わってもほとんど進まない。やはり車で来るのは止めた方がいい。22時半少し前になっているが、駅前の混雑はまったく変わっていない。駅入り口付近で福岡県警の人たちが入場規制をしている。しかたないので並んで、待つこと約1時間でやっと列車に乗れた。10分に1本の臨時列車も間に合わないようで、まだまだホームにも人が多く並んでいた。運良く座れたが、その後からもどんどん乗ってきて、あっと言う間に満員になる。小森江駅で下車すると、多くの人が3号線を門司港から歩いて帰っているのに会った。元気があればこれもいいかもしれない。
なんとかその日のうちに帰りつく。すすだらけの頭と汗だらけの身体をシャワーで洗い流した後、どっとベッドに倒れ込んで就寝。
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2002年08月14日
今朝の新聞より
今朝の新聞を読むと、昨日の花火には門司と下関合わせて115万人の人出だったそうだ。そりゃぁ駅も混むはなぁ。その記事の下には、花火見物の帰りに船から落ちて水死した人がいたようだ。昨日会場を出る前に、サイレンを鳴らして走っていった海上警備の船を見たが、これだったのかもしれない。
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2002年08月16日
ぐうたらな一日
本日も特に何もしない一日。午後8月いっぱいで閉店するグルメシティ大里店に涼みに行ったくらい。
今回の帰省では、昼間のテレビは高校野球くらいしかやっていないし、620LXやjornada548は持参しているもののパソコンは持ってこなかったので、ネットサーフィンという訳にもいかないので、学生時代に買って実家に置いてあった本を取り出して読むことが多い。「世界名画の旅」1〜7巻とか「櫻画報大全」とか「モンガイカンのビジュツカン」とか「俺たちはノイズだ」とか「日本近代文学の起源」とか「文学アルバム志賀直哉」とか「佐野量子写真集」とか・・・。どれも意外に新鮮だったりする。・・・というか内容をすっかり忘れているというか、覚えが悪いと言うべきか(^^;)。それにしても、ずーと本棚に入れたままで何年も開くことがなかったので、ダニとか多いようで、本を読んだ後、身体中がなんだかカユくってしょうがない。こりゃ虫干しすべきだな。
今回の帰省では、昼間のテレビは高校野球くらいしかやっていないし、620LXやjornada548は持参しているもののパソコンは持ってこなかったので、ネットサーフィンという訳にもいかないので、学生時代に買って実家に置いてあった本を取り出して読むことが多い。「世界名画の旅」1〜7巻とか「櫻画報大全」とか「モンガイカンのビジュツカン」とか「俺たちはノイズだ」とか「日本近代文学の起源」とか「文学アルバム志賀直哉」とか「佐野量子写真集」とか・・・。どれも意外に新鮮だったりする。・・・というか内容をすっかり忘れているというか、覚えが悪いと言うべきか(^^;)。それにしても、ずーと本棚に入れたままで何年も開くことがなかったので、ダニとか多いようで、本を読んだ後、身体中がなんだかカユくってしょうがない。こりゃ虫干しすべきだな。
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2002年08月17日
ニューアベベ・オールスターズ、焼きカレー
今晩は門司港ホテル横のボードウォークで、ニューアベベ・オールスターズというアマチュアのビッグバンドのコンサートがあるということで、夕方から車で門司港へ行く。さすがに花火大会の時とは違い、車も人もまばらである。コンサート前にちょっと腹ごしらえ。ドルチェという喫茶店で焼きカレーセットを食す。

門司の"名物"らしい焼きカレー(要するにカレードリアである)を初めて食べたが、「カレー好き」な私としては期待したほどではなかった。まぁ店によって色々なのだろうから、決めつけてしまうことはない。また今度どこかで食べてみよう。店を出てから、まだ開始時間までに間があったので、旧大阪商船ビルと門司港駅を中心に、しばらくレトロ地区を散策&デジカメ撮影。

19:00からコンサート開始。メンバーは歯科医や医学生が多い。

家から持ってきた缶ビールを飲みながら、カウント・ベイシーやグレン・ミラーなどの名曲を聞いているうちに、あっと言う間に1時間半が過ぎてしまった。海の近くで涼みながらジャズを聞くというのは、本当に心地好い。

門司の"名物"らしい焼きカレー(要するにカレードリアである)を初めて食べたが、「カレー好き」な私としては期待したほどではなかった。まぁ店によって色々なのだろうから、決めつけてしまうことはない。また今度どこかで食べてみよう。店を出てから、まだ開始時間までに間があったので、旧大阪商船ビルと門司港駅を中心に、しばらくレトロ地区を散策&デジカメ撮影。

19:00からコンサート開始。メンバーは歯科医や医学生が多い。

家から持ってきた缶ビールを飲みながら、カウント・ベイシーやグレン・ミラーなどの名曲を聞いているうちに、あっと言う間に1時間半が過ぎてしまった。海の近くで涼みながらジャズを聞くというのは、本当に心地好い。
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2002年08月18日
大里本町から松原へ
午後デーゲームのダイエーVSブルーウェーブ戦をTV観戦し、ダイエーの勝利を見届けてから旧長崎街道の狭い道を大里本町から松原(門司と小倉の境にある町)まで往復する。大里本町は元々私の生まれた家があった(今は駐車場になっている)場所で、199号線に隣接してはいるが、まだまだ静かである。少なくはなっているが、古い家並みもまだ残っており、珍しい窓枠のある家や木の格子の付いた家など、江戸時代の宿場の雰囲気をわずかながら感じることが出来る。

門司駅は現在建て替え中で、駅舎がすっかり無くなっているが、隣接する旧サッポロビール九州工場も丸裸の状態で、レンガ造りの建物のみを残して、跡地は整地されてしまっている。でも、これまで見たことの無い角度から建物を見ることも出来るので、これも貴重な風景なのかもしれない。

そのまま小倉方向へ進み、松原まで歩く。前回(といっても20年位は経つなぁ)訪れた時は、金属を加工する小さな工場が立ち並んでいた印象が強かったのですが、普通の住宅が増えた反面、工場の数は減っているように感じる。しかし削りカスが道端に積まれている様子や、金属を削った時の独特の匂いは、昔と変わらないものでした。

新しく出来たJRの貨物ターミナルや、3号線と199号線をつなぐ橋や、その橋の上から見える戸畑や八幡側の工場群などをデジカメで撮影(そう言えば、先日の花火大会の時に、空から降ってきた花火カスのせいと思うが、デジカメの表面が熱で数箇所変色してしまっていた)。所々陽の光が漏れる曇り空の下で、工場の高い煙突から白い煙が長く流れて行く眺めは、見飽きることがない。

来た道をそのまま戻って帰宅。休暇もこれで終わったなぁって気がする。(「620LX日記」より)

門司駅は現在建て替え中で、駅舎がすっかり無くなっているが、隣接する旧サッポロビール九州工場も丸裸の状態で、レンガ造りの建物のみを残して、跡地は整地されてしまっている。でも、これまで見たことの無い角度から建物を見ることも出来るので、これも貴重な風景なのかもしれない。

そのまま小倉方向へ進み、松原まで歩く。前回(といっても20年位は経つなぁ)訪れた時は、金属を加工する小さな工場が立ち並んでいた印象が強かったのですが、普通の住宅が増えた反面、工場の数は減っているように感じる。しかし削りカスが道端に積まれている様子や、金属を削った時の独特の匂いは、昔と変わらないものでした。

新しく出来たJRの貨物ターミナルや、3号線と199号線をつなぐ橋や、その橋の上から見える戸畑や八幡側の工場群などをデジカメで撮影(そう言えば、先日の花火大会の時に、空から降ってきた花火カスのせいと思うが、デジカメの表面が熱で数箇所変色してしまっていた)。所々陽の光が漏れる曇り空の下で、工場の高い煙突から白い煙が長く流れて行く眺めは、見飽きることがない。

来た道をそのまま戻って帰宅。休暇もこれで終わったなぁって気がする。(「620LX日記」より)
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2002年10月01日
ふるさと門司への帰郷
昨晩の酒が残っている中、10時半に横浜のホテルをチェックアウト。素浪人の第1日が始まる。引っ越し代金を振り込んだ後、せっかくなのでラーメン博物館にでも寄ろうとも思ったが、戦後最大級の台風が関東接近中ということで、うろうろしないで車中の人になることにした。Suica定期をデポジットした後、新横浜駅内の店でかき揚げそばランチを食し、12:09発のぞみ13号に乗り込む。
ひどく眠かったので、座席に座るとすぐに寝る。気が付くと三河安城だった。風も雨もたいしたことはないようだ。名古屋あたりまでは雨、新神戸までは曇っていたが、岡山近辺ではすっかり晴れていた。
16:32小倉に到着。鹿児島本線に乗り換え、17:00少し過ぎに小森江到着。迎えに来てもらった親の車に乗り、実家に帰る。しばらくはここが本拠地になる。実家に着くと、なんだか急に眠くなったので、また寝る。(※620LX日記より加筆・修正)
ひどく眠かったので、座席に座るとすぐに寝る。気が付くと三河安城だった。風も雨もたいしたことはないようだ。名古屋あたりまでは雨、新神戸までは曇っていたが、岡山近辺ではすっかり晴れていた。
16:32小倉に到着。鹿児島本線に乗り換え、17:00少し過ぎに小森江到着。迎えに来てもらった親の車に乗り、実家に帰る。しばらくはここが本拠地になる。実家に着くと、なんだか急に眠くなったので、また寝る。(※620LX日記より加筆・修正)
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