2002年12月23日

猿喰新田付近をデジカメ撮影

天気がもちそうだったので、「はるちゃん6」を見てから、デジカメを持って外出する。七ッ石峠を通って猿喰まで歩く。新門司病院近くにある新池に寄ってから、門司北高そばの石原宗祐翁頌徳碑へ行く。
石原宗祐翁頌徳碑
石原宗祐は大里村の庄屋で、享保の大飢饉の経験から私財を投じて猿喰海岸を干拓し新田を開き、後に小倉藩からの要請で(これまた私財を使って)曽根新田の開発をおこなった人物で、郷土の恩人としてその名が語られている。これらの新田のおかげで、後の天明の大飢饉でも餓死者0名だったらしい。この辺りはその当時に造られた堤防や溜め池が残っている。
門司北高の横を通って、猿喰海岸側へ向かうと、猿喰新田の汐ぬき穴と呼ばれる穴がある。用水路からの排水や新田の塩分を抜くために使用したそうで、元々は4個あったそうだが、現在は2個だけ残っている。直径1.5m位の穴の周りに石で造られた頑丈な枠がある。ここで10数枚撮影する。
汐ぬき穴
新田の中の道を歩く。新田の真ん中に小さな森があり、そこに厳島神社がある。この場所は元は裸島という島で、神社は新田で耕作する村人の安全と新田の豊作を願って石原宗祐が建てたものだそうである。小さな鳥居をくぐると左に大きく曲がった道があり、進んでいくと小さな石室と祠堂があった。ここで数枚撮影する。
厳島神社
再度汐ぬき穴のところまで戻り、そこから猿喰海岸へ出る。埋め立てで陸続きになった軽子島が見える。
軽子島
海岸線は整備されていて、海を眺めて休憩するのに良いようにベンチやテーブルが作られている。ゴミが落ちていないところを見ると、来る人はあまりいないようだ。海岸に降りたオジサンがひとり、何かを獲っているのが見える。
柄杓田の天疫神社に行こうと思ったが、暗くなり始めたので止すことにし、柄杓田に抜けるトンネルの手前から西に曲がり、伊川の交差点方向へ歩く。伊川の辺りは古い家が多く、珍しく土塀なんかが残ってます。大里伊川線に出てから円楽寺に寄る。鐘楼の隣に「産婆中野シノ之碑」があるが、何でしょうかね? 
産婆中野シノ之碑
大里伊川線に戻り、しばらく歩くと、九州自動車道の手前で鳥居が見えたので寄ってみる。何故か「天疫神社」と「貴舩神社」の扁額がふたつ並んでいる。社殿は一棟だけなので、どうしてこうなっているのか分からない。再び大里伊川線に戻って九州自動車道の下をくぐり、JR西日本の変電所脇を過ぎる。ここから先は歩道が無いので、車に注意しながら、くねくね曲がった峠道を登る。歩くには(特に夜は)危ないかもしれない。淡島神社の横を通って帰宅。(※620LX日記より)
posted by seamoon at 00:00| 調査・撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。