2002年11月24日

門司港から田野浦までの撮影

昼食後、デジカメを持って外出。金山堂で本を立ち読みした後、小森江駅から電車に乗って門司港へ向かう。今まで撮っていなかった関門連絡船通路跡や0哩標、駅舎2階の旧貴賓室などを撮影。フリーマーケットで賑わっている駅前を抜け、萬龍のある通り(CXの月9ドラマ「ホーム&アウェイ」の先週放送分で映ってましたね)や、平民食堂の看板、放浪記の店先を撮影。
平民食堂
それから佐藤書店に寄って、門司関係の古い本を物色。「門司市史」や「門司郷土叢書」など、貴重な本が揃っていますが、いずれも高価で手が出せないですねぇ。先日書いた「高麗町」や「百済町」の存在を確認したかったので、昭和初期くらいの古い地図も探してみたのですが、それは見当たりませんでした。また今度、違う古本屋に行って探してみようかね。佐藤書店を出てから、東本町の岩田酒店へ。全景を撮影しようとしたが、場所が関門国道トンネル入口の近くで、しかも休日ということもあり、下関側へ向かう車で道が混雑しており、撮ろうにもフレームにどうしても車が入ってしまうため、早々にあきらめ、看板や窓など部分的な箇所を中心に撮影した。
岩田酒店
昔の商店の面影を残していて、屋根なんか重厚で、ちょっと圧倒される感じがします。ほんの数年前まで営業していたらしいのですが、今は借りてくれるところを見つけている最中らしいです。
部埼まで行くつもりで、和布刈方面へと歩く。和布刈神社の一の鳥居前で3,4台のバギーと遭遇する。和布刈神社でお参りし、周辺を少し撮影(海峡とか、おでんが地元では有名な若松商店など)する。古城山の麓を海沿いに歩き、田野浦海岸にある旧門司米穀倉庫に着く。
旧門司米穀倉庫
ここは昭和2,3年に建てられた10棟の建物で構成されていて、大きな切妻屋根が特徴的で非常に圧巻です。敷地内には入れないので、閉まった門の隙間から写真を撮っていると、犬の散歩をしていたおばさんに声をかけられた。昔はトラックや船で大量の米が運ばれていって、すごく賑やかだったという話をしてくれた。「今はまったく駄目になってねぇ」とも言っていたが、確かに倉庫の屋根も痛んでいて、穴が空いてしまっていたりして、栄光も今は昔の態になっている。
さらに田野浦の方向へ進んで、埋め立て地に建っている三井鉱山や小野田化学の工場の横を通り、途中に仁吉社(ひとよししゃ?)という神社を撮影したりして、田野浦に着く。立派な鳥居をくぐって結構長い階段を上ると春日神社があった。「春日神社」と彫られた立派な石碑とは対照的に社殿は荒れていて、屋根に穴は空いているし、天井板はほとんど無くなってしまっている。
春日神社
本殿の扉も取れかかっているようである。社殿横に植えられたいちょうの黄色がなんとも悲しい。階段を下りて、人家の迫った細い道を歩くと、大里本町で見るような格子窓の家が数軒ある。田野浦は元々北前船(わからない人は事典で調べてください(^^;))の寄港地であったことから、今では想像も出来ないが、かなり賑わっていたらしい。これらの家もその頃の名残なのだろうか。
このまま部埼まで行くには、時間的に遅くなってきたので、ここで帰ることした。折戸口の交差点まで行くと、米穀倉庫で会った先程のおばさんに又会った。今度は犬を2匹連れている。なんでも犬は4匹飼っているそうだ。歩きながら、おばさんの旦那さんが地元大久保の出身で80年も住んでいることや、田野浦に遊郭のあったことや、昭和28年の大水害の時は近所の崖が崩れて何人か死んでしまったという話を聞いた。大水害の話は、学校の社会科の授業でも親からも聞いているし、関門トンネルが水没した(現在は、その時の教訓で、トンネル入口を閉める鉄の門が設置されている)ことも知識として知っているが、直に話を聞くと、やはり実感してしまう。
米穀倉庫のところでおばさんと分かれ、和布刈まで戻る。まだ少し時間があったので、海峡の風景を少し撮影して、久しぶりに関門人道トンネルを歩いてみることにした(無料だしね)。エレベーターで地下まで行くと、結構人が通っている。なかでもジャージ姿の人が多く、トンネル内を運動のためにジョギングなんかをしているようだ。しばらく歩き、山口県との県境に着く。
関門人道トンネル
このまま下関まで歩いていくと、それこそ帰りが遅くなるので、ここで引き返す。エレベーターで地上に着くと、すっかり日が暮れていて、もう真っ暗だ。少し急ぎ足で門司港駅まで歩いていく。かなり足が疲れてしまった。(※620LX日記より)
posted by seamoon at 00:00| 調査・撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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