2002年11月01日

広寿山福聚寺、手向山

「はるちゃん6」を見てから、足立山麓の広寿山福聚寺へデジカメ撮影へ。大里東口からバスに乗って、砂津で霧ヶ丘行に乗り換え、広寿山バス停で下車する。鳥のさえずりだけが聞こえる静かな境内を約1時間位かけて、50枚程度撮影する。
広寿山福聚寺
バスには乗らず、赤坂を経由して歩き、手向山まで行く。多分小学校の遠足以来で、非常に懐かしい。大里地区の幼稚園や小学校の春の遠足といえば、だいたいこの手向山に登っていた(先々月のオフ会でPAKUさんから聞いた話では、富野辺りの小学校の遠足も手向山だったそうだ)し、小学1年生までは住んでいた場所の裏山から手向山に通じる道があったので、遊び場所として遠征したことも何度もあった。今回小倉側の入り口から登ったが、こちら側から登った記憶はないので、多分初めてだろう。17時も近くなり薄暗くなった中、車1台が通れる程度の幅の道をくねくね曲がりながら登っていく。この雰囲気は比治山を思い出すなぁ。一番上の広場に出ると、昔懐かしい宮本武蔵の碑と佐々木小次郎の碑が少し間を空けて並んでいる。元々手向山は養子である宮本伊織の領地(伊織自身の墓もあるらしい)で、武蔵碑は武蔵の死後10年目に作られたものらしい。
宮本武蔵の碑
来年の大河ドラマは宮本武蔵の物語ということなので、少しは観光客が訪れることになるのだろうか。展望台(小学校の頃には無かったよなぁ)に上り、夕暮れの関門海峡を眺めながら、門司の街や小倉や戸畑の工場群を撮影。
手向山からの眺め
やっぱりこの景色は好きだなぁ。展望台を下りて、ジョギングや犬の散歩をしている人たちがポツポツいる公園内を歩き、弾薬庫跡の前に出た。明治以降この辺りは要塞地区だったため、昔の砲台とか探照燈の設置跡などが多く残っているが、特に手向山で印象に残っている場所はこの弾薬庫(ただ、小さい頃からつい最近まで、この穴は防空壕だと思っていました)で、今は入り口がブロックで塞がれていますが、幼稚園の頃はまだ開いていて、この薄暗い中に入るのが結構恐かったことや、壁いっぱいにチョークか何かで書かれた落書きがあったことを覚えています。辺りをいろいろ撮影しているうちに、日が落ちてしまって撮影不可能になったので、門司側の道から下りて帰る。昔通っていた田んぼの真ん中の細い道は、住宅地として整地された時に潰されて、陸軍の軍道であることを示す石の標識も今はもう無い。(※620LX日記より)
posted by seamoon at 00:00| 調査・撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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