
もし砲台があったことが事実であれば、新たな地域の歴史が陽の目を見たことを喜びたいのですが、個人的には若干疑問があります。その理由としては、どの書籍にも触れられていないこともあるんですが(ただ書籍に書かれていないからといって、存在しなかったことにはならないし、笹尾山や手向山に近いあの一帯に陸軍の施設があってもおかしくないと思います)、一番の理由は山腹に作られている公園は海峡側と言うよりも、どちらかといえば大里の街に対して正面に向いており、小倉側から関門海峡を通ろうとする敵艦を迎撃する場合、やはり砲台のある笹尾山や手向山の頭越しに砲撃しなければならないし、もしその方向への砲撃はしない運用になっていたとすれば、あまりに死角が大きくなってしまうのが、なんとなく不自然じゃないかなぁと思うことです。戦争遺跡についてはあまり詳しくないので、こういう疑問は的外れかもしれませんが。今後の調査項目に上げときたいと思います。でも、なかなか難しそうだなぁ。何か知ってらっしゃる方がいらしたら情報をお願いします。って、また他人任せにしてるなぁ>自分(^^;)。





