2007年09月29日

三宜楼石垣掃除、長谷から谷町・花月園・東門司へ、ビエンナーレで1号上屋へ入場

1ヵ月半ぶりの門司訪問です。11時過ぎに門司港駅に到着。天気は曇りで、小雨が降るかもしれないが、なんとか持ちそうな感じです。門司港ではちょうど恒例のバナナフェアと、ここで何度か紹介している「北九州国際ビエンナーレ’07」が開催されています。
07年バナナフェア開催

まだ午前中なので、まだ人は少ないですが、午後には多くなってくるでしょう。三宜楼へ向かう途中にビエンナーレの展示会場になっているJR九州第一庁舎(旧三井物産門司支店)の前を通りましたが、ここの扉が開いてるのは初めて見ました。
旧三井物産門司支店の玄関

三宜楼に着くと、すでにけーばらさんとゆらり(ぷ)さんが既に石垣の掃除をやっていた。ゆらり(ぷ)さんとは初対面ですね。用意されていた鎌や軍手を借りて草取り作業を開始する。連日の暑さとは比べものにならないほど過ごしやすいのですが、体を動かすと、やはりじわりと汗が出てくる。ホントに日が照らないで助かる。
三宜楼石垣掃除

改めて、こうやって見ると、三宜楼の石垣は大きいというか広いというか、掃除するだけでもなかなか時間がかかります。途中足を負傷中のmkさん(最近またハンドルが変わっちゃいましたけど)も来て、若干賑やかになる。しかし、mkさんは何でも知ってるよなぁ。
12時半近く作業を中止して元祖好々亭で昼ごはんにする。天まどスペシャル(700円)を注文。やはり美味しいですね。でも、いつも天まどじゃなんなので、次に来た時はお好み焼きか天そばにしましょうかね。
好々亭でmkさんから、清滝の旧料亭が残っているという話を聞き、ちょっと行ってみることにする。清滝には料亭が多く存在していたとのことで、この狭い路地の間に建物がまだ残っており、当時の面影を偲ばせる意匠を見ることもできます。
清滝の旧料亭

しかし、これらの建物がいつまで残っているのか・・・。古きよき時代の雰囲気を持つ路地裏が壊れていく危機は常にあるわけで、止めることの出来ない時代の流れと古い町並みの保存とがうまく共存できることを望んでいます。

石垣掃除はまだ残っていましたが、旧三井物産社宅の様子を見に行く予定だったため、申し訳なく思いながらも、ここでけーばらさん達と別れて谷町方面へ向かう。好々亭でも話が出て、門司港コミュで少し前に話題になった、現在解体中の長谷口の邸宅に寄っていくことにする。この建物は山田屋の邸宅で、二号さんが住んでいたらしい。料亭もやっていたそうだ。
長谷口の解体中の屋敷

パイロンの置いてある門から半身乗り出して様子を伺う。解体はだいぶ進んでおり、瓦が取り外され、壁がはがされている姿は痛々しいですが、建物内部に残る丸窓や欄干、庭にある大きな石灯籠などを見ると、往時の豪華さが感じられます。一旦坂を上り下りして裏へ回ってみると、もう少し状態が良くわかりましたが、この建物は解体前にちゃんと見ておきたかったなぁとは思いながらも、個人宅なので無理だったろうなぁ。mkさんに言われた、近くにある御大典記念碑を見つけて、これも撮影する。
長谷口の御大典記念碑

長谷から谷町へ歩き、善浄寺の角を曲がる。以前4棟あった旧三井物産社宅が今では2棟になっていました(前に残っているのは1棟のみと書きましたが間違いでした)。
旧三井物産社宅の現状

2棟が取り壊される前には隠れていた建物の裏側や側面の窓を見ることが出来ました。近くで見ると、どんな建物にも似ていない独特の存在感があり、取り壊すにはやはり惜しい建物です。なんとかならないのかなぁ・・・でも難しいだろうなぁ。
谷町界隈ですが、本郷とか月島とかのような、東京の下町のような感じの場所もあります。なかなか良い雰囲気です。
谷町界隈

花月園から東門司へ歩いていく。花月園を歩くのは初めてですね。「花月園」というと横浜鶴見を思い出しますが、角川書店『福岡県地名大辞典』によると、「先住のある人が、花月を愛し、草花を栽培して花園のようであったので」名付けられたそうだが、現在は住宅ばかりで、そういう感じがないですねぇ。旧家を使った染色工房とかありますけど、何となく寂れた感じで・・・ここは今でもやってるのかなぁ。
花月園あたり

東門司は何度か歩いてますが、相変わらず静かな町並みですねぇ。
東門司を歩く
東門司からハイマートを望む

歩き詰めで少し疲れたので、以前「門司情報探偵団THE LIVE」で紹介されていた、料亭岡崎内にある喫茶店を訪ねる。正門近くにつながれた犬に吠えられながら(^^;)、向かって右側に入口があり、靴を脱いでスリッパに履き替える。お客さんが誰もいなかったので(^^;)少々恐縮しながらアイスカフェオレを注文する。
CAFEおかざきで休憩

喫茶室になっているこの部屋も元々料亭の一部で、入口部分のみ増築したとのこと。またギャラリーにもなっていて、毎月展示されるものが入れ替えられるそうです。まぁ男ひとりで入るにはちょっと静か過ぎますが(^^;)、少人数で落ち着ける場所という感じですね。

岡崎を出てから、門司図書館に寄って郷土資料をチェックしたり、栄町の宗文堂書店や佐藤書店に寄って立ち読みしたり、年内に取り壊しが決まったらしい旧西日本シティ銀行門司港支店を撮影する。
解体の決まった元西日本シティ銀行

今回の門司港訪問は解体物件の巡回のようになってしまってますが、門司港コミュの情報では、旧日本セメント門司工場も解体のための調査が始まっているらしい。先日栄町商店街の玉寿司や好々亭本店の閉店などもあり、急速に街が変わっていこうとしているのか・・・。
17時過ぎたので、ビエンナーレの音楽イベント「基調の響き 多層の扉1」を聴きにいくために、会場にある西海岸へ向かう。ビエンナーレのポスターも到る所に貼られていますね。
北九州ビエンナーレのポスター

会場の1号上屋に着くが、スタッフに訊くと開場は17時半からで、当日券もそれから発売するとのことで、時間を潰すために海峡ドラマシップのレトロ通りに寄ってみる。時間も時間なので、ほとんどお客さんはいないが、ここにあるお店は大丈夫なのか、ちょっと心配になる。自分の生まれた日の読売新聞朝刊の一面かラテ欄をコピー出来る機械があり、自分の誕生日を指定して300円を入れる。トップ記事は統一地方選での各党首の地方遊説の話。そうかぁ、当時は池田首相だったのね。韓国は朴最高会議議長の軍事政権時代だったようです。17時40分頃に再び1号上屋へ行くと、ボツボツと人が集まり始めていた。
1号上屋前で開場を待つ

さすがビエンナーレ、若い人がほとんどで、刺青入りの外人のお客さんまでいます(^^;)。当日券の発売を始めたので、3,000円を払う。受付横でCDやDVDも売っていましたが、うーんちょっとわからないなぁ。1ドリンクサービスってことで、スーパードライをもらう。
予定より30分ほど遅れて開場。実際のところ、今回はイベントに興味があるっていうより、1号上屋の中に入ることの方がメインの目的だったりするので、入ってから直ぐに内部を歩きまわる。入場前に撮影禁止、携帯電話の電源OFFと言われていたので、それに従っていたが、周りを見ていると、あきらかにスタッフではない複数の人が、意に介さないように写真を撮っていた。イベント開始前だし、イベント自体を撮影する気もないので自分も遠慮しながら少数撮影することにする。まぁ最終的には係りの女の子に止められましたけど。
1号上屋1階倉庫の様子

倉庫であった1階はさすがに広いです。柱が多くて整然と並んでいる様子は、工場萌えの人にも満足していただけるものと思います(笑)。天井や鉄の扉は特に一見の価値があると思います。床には穴というか削れて一段低くなっている場所があったり、コンクリートの瓦礫が積まれていたりしている。イベントのために電源コードやライト、スピーカーや音響機器があり、ゲージツをおこなう空間としてもなかなかの雰囲気である。
ようやく始まったイベントは2部構成で、チケットに書かれた内容によると、第1部の出演はアストロノイズ(韓国)、ディクソン・ディー(中国)、梅田哲也。ディクソン・ディーの香港?の映像と組み合わせていたものは面白かったですね。第2部はI.S.O+ジム・オルーク。
観客は200人前後ってところでしょうか。パフォーマーの近くでじっくり音を楽しむ人、壁にもたれて黙って聴いている人、コンクリートの瓦礫に腰掛けてリラックスしている人、ドリンク片手に会場を歩きまわる人、柱にもたれかかって聴いているのか聴いていないのかよくわからないカップル、パフォーマーから離れて床に座り込み孤高然としている人・・・etc。形にとらわれない、それぞれのスタイルでそれぞれの楽しみ方をするのが正解だと思う。しかし、観客でも目立っている人は目立つよなぁ。私はというと、1号上屋から大陸に渡った人達のことを思い、また耳栓なしで深海に沈んでいく自分の姿を想像しながら、時に会場を泳ぐように歩き回り、時に立ち止まって空気の揺れを体内に取り込む作業をしたりしてました・・・。20時前に第一部が終了し、結構楽しめたので、第ニ部は見ずに帰ることにする。
会場を出て、まっすぐ門司港駅に向かい、荒尾行きの快速列車に乗り込む。あ〜今日は色々と楽しかったなぁ。JR第一庁舎の展示会の方には行っていないので、10月中にもう一度門司港に来ようと思っています・・・多分平日に。
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2007年09月26日

タイムリミットが近づいているそうです

以前記事にも書いた、解体の危機にある旧三井物産社宅の様子が久々に紹介されています。

【門司港レトロ】旧三井物産社宅を保存したい!! | お久しぶりです

掲載された写真を見ると、既に1軒しか残っていない状態のようです。
近況を報告しますと、「旧社宅の保存は難しい」という結論です。
解体が決まったわけではありません。

とのこと。ブログで紹介すること以外、具体的な協力が出来ないのが、なにか歯がゆいです。
今週の土曜日に門司港へ行く予定なので、様子を見に行きたいと思っています。
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2007年09月23日

もう一つの清水正次郎の碑

JR研修センターに立っている清水正次郎の碑がもう一つあることを知ったのは、門司郷土叢書の楠原村志にあった「[福岡県碑誌 筑前之部] 清水正次郎碑 福岡市東公園ニ在」という記述があったからで、一昨年東公園までわざわざ探しに行ったのですが見つからず、また次の機会にと思っていたところ、最近たまたま読み返していた「北九州の史跡探訪(増補・改訂版)」の「JR九州研修センターと清水正次郎顕彰碑」の項の最後に「碑はもうひとつ福岡市平尾霊園内にもある。」とあるのに気付き、せっかくの3連休なので行ってみることにしました。博多駅郵便局前から桧原営業所行きのバスに乗り、平和3丁目のバス停で下車し、住宅街のなだらかな坂を上っていくと、福岡市立平尾霊園正面入口に着きます。お彼岸の中日だけあって、園内はお墓参りする人と車が多かったですね。園内を回りながらしばらく探していると、特別区という場所があり、そこに幾つかの石碑と一緒に、目的の清水正次郎の碑がありました。
平尾霊園の清水正次郎顕彰碑(1)
平尾霊園の清水正次郎顕彰碑(2)

碑文自体は楠原村志に記載されていますが、今回実物を見て「大正元年十一月」「福岡玄洋社建設」ということを知る。
平尾霊園の清水正次郎顕彰碑(3)

案内板を見ると、この一帯は玄洋社関係の石碑が固まっており、「福岡の変 魂の碑」を中心に7つの碑がある。「右翼の思想的源流」である玄洋社と清水正次郎の関係はよくわからないが、ネットで調べると玄洋社の杉山茂丸が顕彰碑を建立の発起人であったらしい。尚、この碑がいつ東公園から平尾霊園に移されたのかは分かりませんが、玄洋社関連以外の幾つかの碑が昭和30年代に東公園から移されているようで、(もちろん確認は必要ですが)それらと同じ時期だと思われます。それにしても蚊が多いなぁ・・・。
【10/12追記】
調べたところ、他の玄洋社関係の碑と共に東公園から移設されたのは1977(昭和52)年だそうです。
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2007年09月17日

サーバトラブル・・・そして復旧

ケータイストリートのサーバがトラブルだそうで、2日前から携帯版@門司へアクセスできない状態になっています。サーバ自体は復旧しているものの領域データの修復に時間がかかっているとのこと。申し訳ありませんが、しばらくお待ちください。
東門司にて

【追記】
ケータイストリートへ連絡したところ、一番早い解決策としては再度アップロードすることだそうなので、2,000以上のファイルをアップしました。ADSLの恩恵でアップロードは30分で終了、早いねぇ。索引や神社・祭神データベース用のCGIのパーミッションも変更し無事復旧しました。やれやれ。
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2007年09月16日

「北九州国際ビエンナーレ’07」ボランティア募集の告知

先日紹介した、今月28日から門司港で開催される「北九州国際ビエンナーレ’07」について、現在ボランティアとして参加していただける方を募集しているそうです。
新しいアートの実験都市をめざして

「北九州国際ビエンナーレ’07」ボランティア募集中!

今年2007年9月末から1ヶ月間、北九州市門司港地区を舞台にアーティストやミュージシャン、研究者、映画監督、学生などが集まり、展覧会や音楽コンサート・シンポジウムやワークショップを通じて、アートの実験都市としての可能性を探る国際美術展「北九州国際ビエンナーレ’07」を開催します。

事務局では、この北九州国際ビエンナーレ’07をサポートしてくださるボランティアスタッフを募集しています。初めての大きなイベントとなりますが、ボランティアスタッフの皆さんの提案も積極的に受け入れながら、一緒に盛り上げていきたいと考えています。

●お仕事の一例
  • 広報

  • 会場設営、作品設置のサポート

  • ワークショップやシンポジウムのサポート

  • 会場の受付、案内管理およびガイドツアー

  • ドキュメント(ヴィデオやスチルの撮影、編集など)

  • カタログの制作サポート
など 

●AIKボランティア「4つのメリット」
  1. アーティストやキュレーターなどのアート関係者だけでなく、ミュージシャン、建築家、研究者、映画関係者など様々な人と知り合うことができる。

  2. イヴェントやアーカイヴにおけるマネジメントなどの基礎を実践から学べる。

  3. 国内外のオルタナティヴ・アート・スペースやアートNPOの活動に触れることができる。

  4. 広い意味でアートについての国際的な視野や知識を身につけることができる。
などなど

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応募方法
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アートマネジメントやまちづくりに関心のある方、イベント大好き!、写真が得意!力自慢!資料整理は任せて!などなど、
ご興味のある方は、ビエンナーレ事務局までご連絡ください。

★得意分野や興味のある仕事がありましたら、ご連絡の際にアピールしてください!

■■Kitakyushu Biennale 07 事務局■■
担当  高橋 岩本
〒805-0061北九州市八幡東区西本町1−20−2
TEL&FAX 093-661-9130
MAIL info@a-i-k.jp
URL http://a-i-k.jp/

現在のところ、展覧会の受付と監視業務の人員が不足しているそうで、何日かでも手伝っていただける方がいらっしゃれば、ということです。
  • 日時:9月29日(土)から10月31日(水)
    ・日〜木曜 10時から19時
    (ローテーションに伴い休憩あり)
    ・金、土  10時から21時
    (ローテーションに伴い休憩あり)

  • 内容:展示会場(旧JRビル)受付業務 および 監視員

  • 必要人数:毎日3名〜

  • 特典:
    ・若干交通費が出ます。
    ・展覧会会場に無料で入れます。

mixiに入会している方はこちらからアクセスしてみてください。
よろしくお願い致します。
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2007年09月09日

何回目?かの新聞記事2題

門司港レトロ:観光客3年連続減少 昨年、214万人 新空港できたのに… /福岡
北九州市がまとめた06年の観光動態調査で、九州でも有数の観光地・門司港レトロ地区の観光客数は214万人と3年連続で減少したことが分かった。06年3月の新しい北九州空港の開業で来訪客の伸びが期待されたが、日帰り・宿泊とも前年実績を下回った。
 同地区の観光客は、大型施設が開業しNHK大河ドラマ「武蔵」が放映された03年の255万人をピークに減り続け、06年は前年より2万人少なかった。和布刈(めかり)地区を単純合算した門司港全体の観光客も、334万8000人で03年より約60万人減った。
 新空港開港により東京線が大幅に増便され、空港と門司港を結ぶ路線バスの運行も始まった。市は首都圏で観光キャンペーンを展開し、門司港はその看板となる地区と期待されていた。ただ、市門司港レトロ室は「過去2年に比べると減少傾向に一応の歯止めがかかった形。知名度が次第に浸透してきて、今年の施設入館者は前年を上回るペースとなっており、今後は期待できる」と説明している。
 門司港全体の宿泊客は31万6000人で日帰りが圧倒的に多く、平均滞在時間は3時間弱。このため、同室は滞在時間を伸ばすことや繰り返し来訪するリピーター確保が課題とみており「焼きカレーなど食をテーマにした企画や、季節ごとのイベントを通じて魅力を向上させたい」と話す。
 北九州市のこのほかの施設は、▽スペースワールド地区200万人▽北九州空港73万7000人▽平尾台53万7000人▽グリーンパーク45万3000人▽皿倉山周辺43万1000人−−の順。新たに入った空港を除くと、いずれもほぼ横ばいか減少傾向だった。
〔福岡都市圏版〕(毎日新聞 2007年8月29日)

新空港開設が客足に影響するとは思っていなかったので、予想通りといえば予想通りなのですが、やはり厳しいですね。
次に「門司港出征兵士資料展」の記事です。
出征兵士の港 忘れぬ
戦時中に多くの出征兵士を送り出した門司港の歴史を見つめ直す資料展が5日、北九州市門司区の海峡ドラマシップ1階多目的ホールで始まった。出征兵士の写真の複写など約600点が展示されている=写真。入場無料で10日まで。
 出征兵士の記念碑建立を目指す市民グループ「門司港出征兵士記念碑建設委員会」(添田裕吉代表)が建立に向け市民の関心を高める狙いで主催。出征兵士らの写真約3千枚を保管する山口県下関市豊田町の狗留孫山修禅寺や小竹町の「兵士・庶民の戦争資料館」などから資料を借りた。
 「祈武運長久」の文字が入った千人針、当時のビルマ戦線での戦死を家族に知らせる死亡告知書など、生々しい資料が来場者の足を止めていた。
 北九州市港湾局発行の「北九州の港史」には、日中戦争に入って輸出入が増大し「外国貿易の主要岸壁である、西海岸埠頭は出征兵士や軍事物資の積み出し基地として利用され、民需の使用は大きく制約されることになった」とある。門司港から兵士が外地へ向かう光景は火野葦平の「土と兵隊」や大岡昇平の「ある補充兵の戦い」など、文学作品にも描かれた。
 ドラマシップの近くには、門司港から100万頭ともいう農耕馬が軍馬として送り出された史実を伝える「出征軍馬の水飲み場」が残る。市設置の説明板には「港町・門司の歴史を後世に伝えていくとともに、平和の尊さを忘れないよう、ここに保存する」とある。
 同委員会の添田代表は戦時中、陸軍兵士として門司港からフィリピンに出征した。「馬の説明板はあるのに、兵士の記念碑がないのはおかしい」と建立を求めている。初日に会場を訪れた福岡市博多区の中郷トヨノさん(87)はフィリピン戦線で夫を亡くした。「戦争を知らない人が増えている今、語り継ぐ場所があっていい」と話した。
 委員会は門司港にちなんだ戦時資料を探している。問い合わせは事務局の増田さん(093・473・5663)へ。
(asahi.com 2007年9月6日)

開催は明日迄なので、お時間のある方は是非。
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2007年09月08日

門司市寄贈のピアノ

先日の「門司港出征兵士資料展」の記事へのはてなダイアリー側のコメントに、「世界のピアノからのメッセージを感じて!」というブログを開設されているkinichiarakiさんから、修理に携わった「フッペル」というドイツ製のアップライトピアノについての話があり、そのピアノには「贈 門司市」の文字と当時の門司市の徽章があり(kinichiarakiさんのブログ記事「フッペル 現代でも生き続けるピアノ」に紹介されている画像で確認できます)、どういう経緯で誰に寄贈されたものなのかを調べられていて、「門司」つながりで、こちらに問い合わせされたようです。残念ながら私の方では全く情報を持っていないので、もし何かご存知の方がいらっしゃれば、kinichiarakiさんの上記記事へのコメントか、或いは私宛のメール等で連絡をお願いします。
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