2007年07月29日

やっぱり載ってました

月刊誌「一個人」9月号の保存版特集「夏こそ日本一の『カレー』を食べる」にコックテールの焼きカレーが載ってます。「アド街ック天国」の門司の回で紹介された時もコックテールだったんじゃないかなぁ、ちゃんと覚えてませんが。
「一個人」カレー特集
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2007年07月21日

大里の街をまったり巡回

今回の門司訪問の目的は・・・実は特になくて、最近大里近辺を回ってないなぁと思ったので、少しぶらぶらしながら、何か面白いものにでも当たればいいかなぁというノリです。門司駅に到着したのが12時少し前で、まずは昼食ということで、毎回大里飯店では芸がないので、表に書いてあった「冷麺」の文字に釣られ、以前から知ってはいるけれど中には入ったことのない戸ノ上通りの青龍に入る。
青龍
小さくて古い店で、なんとなく落ち着ける雰囲気がある。今年初めての冷麺を食すが、細い麺がいいですね。

店を出てから、みずき通りを不老通りへ抜け、バス通りを社ノ木方面へ歩く。天気は曇りで、気温はちょっと暑め。まぁゆっくり歩くことにしましょう。下馬寄のバス停を少し過ぎたところから山側に曲がると、前から気になっていた石柱がある。
東馬寄の石柱
幟を立てる時に使う柱なので、元々は一対だったのでしょうが、今は1柱のみである。「奉納」「下馬寄 栗崎トヨ建之」とあるが、ちょっと不思議というか、あまり知識がないので良くわからないのですが、「奉納」と刻まれている面が正面だとすると、奉納されている対象(御神体とか山や岩などの信仰の対象物)はその奥にあるものと思いますが、ここの石柱で言うと海へ向かっていることになる。山の方であれば戸ノ上山とも考えられるが・・・。これは宿題ですね。

山側に向かってそのまま歩き、久しぶりに全国鉄道殉職者弔魂堂へ寄ってみる。ここには清水正次郎之碑があるのですが、近づいてよく見ると、今まで気付きませんでしたが、「清」と「水」の間に修復の痕がありますねぇ。
清水正次郎之碑の修復箇所

上馬寄にあるマックスバリュー門司西店へ行き、その一角にあるクエストへ入る。
クエスト門司大里店
門司区内では最大規模でしょうね。グランデ金山堂とどっちが広いのかなぁ。ざっと見回った感じでは品揃えは豊富だし、藤松に住んでた学生時代にこういう店があったら入り浸ってたでしょうねぇ。ただ、街中でも大通り沿いでもないし、これだけの店舗を維持していくのは大変だろうなぁ。店内で涼んでから外へ。

緑ヶ丘方向へ歩いていく。緑ヶ丘病院前の公園(48番系統のバスが緑ヶ丘で終点だった頃はバスの停車場でしたね)から左に曲がり、山の中腹にある住宅地を行く。およそ30年振りでしょうか。ここには小・中学校時の同級生の家があり、1週間に1回は遊びに来てましたねぇ。同級生の家はまだありましたが、ご両親はご健在でしょうか。

次に緑ヶ丘団地へ。
緑ヶ丘団地
こっちに来たのは5,6振りかな? 昔は友達や同級生がたくさん住んでました。そう言えば好きだった女の子の家もありましたねぇ。緑ヶ丘にもお店や散髪屋さんが昔ありましたが、今はもう無くなってます。なんだか寂しい。

坂を下り、稲積の方へ。都市高速のガードをくぐると、小学2年から予備校時代までの12年間住んでいた家の近くになる。子供会(町内会単位で子供会があり、当時は遠足や廃品回収などをやってましたねぇ)でソフトボールをやっていて、毎年校区内で大会が開催されるほど盛況だったのですが、西門司小学校に通っていた当時、互いに子供の人数が少ないことから、自分のところの子供会と隣接する稲積の子供会が合同チームを組んでました。その時に練習していたのが、緑谷緑地の広場で、当時は砂利が敷いてありました。
緑谷緑地の広場
こんな狭い所でやってたんですよねぇ。そういえば、一度子供会でここにテントを張ってキャンプみたいなことをしたことがあり、飯盒でご飯を炊いたり、お湯を沸かしてボンカレーを温めたりましたねぇ。忘れ物があったら家に取りに帰ったりして(^^;)、今考えると、ホントに笑える催しでした。誰が考えたんだろ。

けやき通りに出て、光町から青葉台方面へ坂を上っていく。幼稚園に一緒に通っていた同級生の家が空き地になっていた・・・。何の気なしに住宅案内板を見ていたら、都市高速を越える橋の名前が「開善寺橋」ということを知った。
開善寺橋
開善寺というと、今は小倉南区湯川にあるが、以前は今はクエストが建っている小倉北区馬借にあり、門司絡みで言うと、蘭山禅師が静泰院へ移る前に住職をしていたお寺である。何故この橋に「開善寺橋」という名前が付いているのか不明ですが、この辺りに所領かなにかあったのかもしれません。これも宿題になりますね。
さらに坂を上っていくと、4年前にはあった青葉台の団地がすっかり整地されていた。
青葉台の団地跡
ここにも同級生が多かったんですけど・・・見晴らしは随分よくなりましたが・・・桜の木も無くなってしまいました。

青葉台公園に少し寄ってから、再び藤松方面へ坂を下る。旧電車通りから跨線橋を渡り、松原の方へ。松原には2年半振りでしょうか。長崎街道(門司往還)の名残の残っている狭い道を歩く。ほぼ3時間休み無く歩いているので、結構バテてきてます。JR鹿児島本線をくぐるトンネルは残ってますね。
松原のJR鹿児島本線下のトンネル
少し雨がぱらつき始め、雨宿りして様子を見ることにするが、どうやら大したことはないようです。再び門司駅方向へ歩いていく。
初めて松原に来た時、多分高校生の頃ですが、今も中小の工場がありますが、当時はもっとひしめき合うように工場があって、削られた金属の屑が工場の前に山積みになっていたり、金属を削った時の特有の匂いが強かったことを強烈に憶えてます。だいぶ様相が変わってますけど。
しばらく行くと、ある工場の横に小屋があり、そこに戦没無縁供養塔と小さくて白い五輪塔がある。
戦没無縁供養塔
供養塔の裏には「昭和参拾九年七月建之 高藤建設株式会社」とある。高藤建設は門司に本社のある建設会社で、今は高校の同級生が副社長やっているようです。まぁ友人の友人なので、あまり面識はないですけど。

199号線沿いに、去年オープンした「サンマルコ」という結婚式場で、ヴェネツィアのサンマルコ広場にあるサンマルコ寺院と鐘楼を模して建設されてます。屋内には入れませんでしたが、デッカイですねぇ。
サンマルコ
以前はここに井筒屋の配送センターがあって、大学4年の冬休み(留年が決まったので、学費を稼ぐためでしたが(^^;))にバイトで通ってました。その時の建物は元々はボウリング場で、ボウリング・ブームだった頃、何度か行ったことがありましたねぇ。当時の建物がコレ。
井筒屋配送センター跡

その後、岡田尚貴氏著「門司往還」に載っていた九州内の街道を記したモニュメントを撮影。
門司往還モニュメント
その他田野浦の北前船や小倉祇園太鼓の絵も近くにあります。ここは何度も通ったことがあるんですが、何故か気付かなかったですねぇ。

原町のJR鹿児島本線の下をくぐって、旧電車通りに出て、大里新町に最近オープンしたというトライアルを覗きに行く。お客さんが多いですねぇ。
スーパーセンタートライアル門司店
かなり汗をかいたのでトイレで顔を洗い、ここまで水分無補給だったので、店の前の自販機で缶コーヒーを買う。サンガリアで50円って安っ。再び門司往還に戻り、赤煉瓦プレイス方面へ歩く。ヤマダ電機が出来て、そろそろ1年かなぁ。「カフェ・ドゥ・ブリック」に寄って一服しようと思ったら、既に閉店してました(^^;)。まぁ次回にしましょう。門司駅に行き、売店で缶ビールとおつまみを買い、冷房の効いたホームの待合室で飲みながら、帰りの準快速列車を待つ。
posted by seamoon at 00:00 | TrackBack(1) | 調査・撮影

2007年07月17日

庚申塔はまだまだあるでしょうねぇ

久々に携帯版@門司を更新。まぁ付録の「庚申塔について」の画像をjpegに差し替え、新たに桜峠2件と、たまたま写していた滝の観音寺の猿田彦大神を追加したのみなので、あまり力入ってませんが(^^;)。元々庚申塔を目的に写真を撮っていた訳ではなく、いつの間にか集まった感じです。
薗辺神社の猿田彦大神

門司郷土叢書第10巻収録の「門司ヶ関」第7号に「門司半島の道祖神分布図」を見ると、庚申塔はまだまだありそうなんですが、分布図自体1961(昭和36)年のものだし、残っていないものもあるんでしょうねぇ。無銘の道祖神を含めて、少し力入れて調査してみようかなぁ。
posted by seamoon at 00:13 | TrackBack(0) | 携帯版@門司

2007年07月01日

今朝の西日本新聞の「本と批評」に

川原田徹(=トーナス・カボチャラダムス)館長さん作の「かぼちゃ大王」という絵本が紹介されていた。

かぼちゃ大王表紙
『かぼちゃ大王』
トーナス・カボチャラダムス著(石風社)
 新刊は豚を飼っているかぼちゃ大王一家が花の都に家族旅行に出掛ける絵物語である。ところが、「遊びほうけて」あっという間に財布の中身は空っぽ。チンドン屋をし、曲芸をし縁日の露店ではたこ焼き売り。さらにバナナのたたき売り・・・。いろんな商売をし食いつなぐ。それが楽しい思い出となって帰っていく、という話。
 子どものころ、身の回りに広がっていた世界だ。「いまはビルの中に人間が閉じこめられている時代。人間の姿が見えない時代になった。あのころは、生活の中に生命力があふれていた。人間が生きていた」
 だから低いところから人間を描く。「低く低く構えないと描く力は出てきません」
(2007/07/01 西日本新聞朝刊「本と批評」より)

作品を読んでないんで、本の主題とは外れているのかもしれませんが、「人間の姿が見えない時代」というのは個人個人の姿という意味ではなく、個人と個人の関係が見えてこない時代なんじゃないかとか思ってます。
まずは天神のジュンク堂書店で探してみましょうかね。
posted by seamoon at 00:00 | TrackBack(0) | 日記