2007年01月26日

一粒牡蠣応援キャンペーン

別の予定があって私は行けませんが、明日門司港でイベントがあります。
  • 日時:2007年1月27日(土) 13:00〜 販売終了まで

  • 場所:栄町商店街内「バナナ伝説」特設会場

  • 主催:栄町界隈若手商店主有志の会

  • 運営:門司港コミュニティ

  • 共催:柄杓田漁業協同組合、恒見漁業協同組合

  • 後援:北九州市、門司港レトロ倶楽部、門司赤煉瓦倶楽部など
牡蠣は、門司の柄杓田、恒見両漁協から提供され、先着100名に牡蠣1kgを無料配布。即売会も実施されます。

同イベントについての朝日新聞の記事はこちら
「豊前海一粒かき」応援

ノロウイルス流行による風評被害に悩む「豊前海一粒かき」の安全性をPRし、消費拡大をめざそうと、北九州市・門司港と築上町でいずれも27日午後1時から、かきの無料配布や焼きたてを食べてもらうイベントが開かれる。
「豊前海一粒かき」は北九州市門司区の恒見漁協が1980年ごろに養殖を始め、広まったのがルーツとされる。これをブランド化しようと、同市や豊前市の養殖漁業者有志が98年に名前を決めて売り出した。関東や関西からも引き合いが来る人気商品に育ちつつあるという。
ところが、今シーズンはノロウイルスの原因食品の一つに「十分に火を通していない、かきなどの二枚貝」が挙げられたことなどから、売り上げが落ちこんだ。
1月10日に豊前海の5海区で採取したかきを、養殖漁業者らが検査したところ、ウイルスは見つからなかったという。漁協や自治体は、食べる前に十分加熱すれば問題はないと呼びかけている。
門司港のイベントは、風評被害を聞きつけた地元の栄町商店街の若手店主らが「観光を盛り上げる大事なブランドの一つとして応援したい」と企画。同商店街のバナナたたき売り店「バナナ伝説」で開かれる。
区内の恒見、柄杓田の両漁協の協力を得て、かき1キロずつを先着100人に無料配布。格安価格での販売や焼きたてを味わうコーナーもある。収益の一部は、住民が保存を求めている門司港の築77年の旧料亭「三宜楼」の保存活用募金に寄付する。問い合わせは門司港レトロ倶楽部(く・ら・ぶ)(093・332・0106)へ。
築上町のイベントは同町高塚の綱敷天満宮駐車場で。豊築漁協椎田町支所が主催。焼きがき40キロを試食してもらい、先着100人にかき1キロをプレゼント。販売もある。
[2007/01/26付 朝日新聞]
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2007年01月25日

福岡市総合図書館で調べ物

今日は会社を休んで、午前中に会社の検診でNGを食らった胃の精密検査を受けた後、午後は福岡市総合図書館へ行って調べものをしました。『福岡銀行二十年史』『大分銀行百年史』『福岡相互銀行四十年史』『西日本相互銀行二十年史』『山口銀行史』『東京銀行史』『毎日新聞百年史』『日本製粉社史』などから門司にあった支店や工場の情報を集める。調べた内容は順次携帯版@門司へ反映させる予定ですが、今回の確認事項のひとつで、『門司市史 第ニ篇』に福岡銀行大里支店の設置は1943(昭和18)年になっているんですが、福岡銀行の設立は既存4行の解散合併した1945(同20)年であるため、単純に記述ミスなのか、既存4行の内のどこかの支店があったのか、を確認したところ、『福岡銀行二十年史』で十七銀行の門司支店が昭和18年に開設したとの記述があったので、多分これが正しいのでしょう。ただ、現在残っている建物の竣工がいつだったのかは確認出来ませんでした。それから大分銀行の門司駅前支店は1927(昭和2)年に大里派出所が開設されてから以降、ちょこちょこ移転しているらしいこともわかった。
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2007年01月22日

先日のシンポジウムの動画が公開されています

mojiko.comでお馴染みの魚住さんのサイトのこちらでシンポジウム第一部の動画が公開されています。少しだけ私の後ろ姿も写ってますねぇ(^^;)。当日のブログで触れたけーばらさんや庵田さんの話(今度はハンドル名にしちゃいますが、いいかな?)は大変面白いので是非ご覧になってください。
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2007年01月21日

あちゃ〜、見逃した

門司港の景色さんの記事で知りましたが、本日部埼灯台の一般公開があったそうです。
部埼灯台の内部公開 関門海峡の道しるべ 21日、135年記念し5年ぶり

 関門海峡を航海する船舶の道しるべの部埼(へさき)灯台(門司区白野江)が初点灯から135周年を迎えるのに合わせて21日、内部が5年ぶりに公開される。
 灯台は1872年1月22日に初点灯。日本近海の航海を安全にするため、英、仏、蘭、米の4カ国が江戸幕府と結んだ条約などに基づく灯台として日本で10番目に設置。九州では3番目に建設された。
 「日本の灯台の父」といわれる英国人技師リチャード・ブラントンが設計し、95年から使うフランス製レンズはガラス製で貴重という。
 当日は職員が灯台の機械や役割を説明。海に浮かび航路を示す灯浮標に使われる発光ダイオード(LED)灯、全国の灯台のペーパークラフト約60点などの展示もある。
 また、隣接する部埼潮流信号所の開放や職員による案内もある。午後3時半まで。参加無料。問い合わせは火ノ山下潮流信号所=0832(32)5247。
[2007/01/20付 西日本新聞朝刊]

完全に情報が漏れてました・・・行きたかったなぁ(;_;)。写真を見ると、去年見学した六連島灯台とほぼ同じようですが、レンズの立派さは部埼灯台の方が勝ちですね・・・やっぱり行きたかったなぁ(ToT)。
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2007年01月20日

毎日新聞西部本社跡、第2回門司港まちづくりシンポジウム」への参加

12時過ぎに門司港駅に到着。思ったよりもいい天気。今回の訪問は「第2回門司港まちづくりシンポジウム」へ参加するため。老松公園方面に向かう途中、港町二番館に「業種転換のため 閉店売り尽し 在庫一掃セール」の立て看板が。営業的に苦しかったのかなぁ。次は何になるんだろう。空き家になるのは嫌だなぁ。
名前は知っているが行ったったことのない大三元のラーメンを食べてみようと思い、店の前まで行くも、丁度お昼時でお客さんが多く、待っている時間もあまりないので、今回は止めにして、好々亭へ行くが閉まっていた・・・。もう一軒の好々亭に行くが、その隣のBELLという店の看板に「焼きカレー 730円」と書いてあったのを見て、完全に頭の中が「カレー」になってしまい(笑)、久々に焼きカレーにする。
BELLの焼きカレー

コーンがいっぱい入ってますね。焼き加減がよくて、鉄板の部分のお米のおこげがいい感じでした。以前に行った店について量が少ないと書きましたが、思えばそんなに大きな鉄板なんてないですよね(^^;)。あっても火の通りがよくないだろうし。量を食べたいなら、セットにするとか、もう一品注文する方がいいでしょうね。
昼食後、佐藤書店に寄り、以前歌う果物屋さんに紹介してもらった今村元市氏の『徳吉無職老人雑記』を購入。これって文芸雑誌「海峡派」に連載していたものなんですねぇ。感想はまた後日に書きましょう。その後丸山の方へ行くつもりだったが(実は丸山地区はあまり回ってないんですよねぇ)、シンポジウムの開始に間に合わなくなりそうなので止めて、掖済会病院の近くにあると思われる、毎日新聞西部本社の碑を探すことにした。この碑については、だいぶ前に門司港の景色さんのところで紹介されていたのですが、詳しい場所がわからず、確かこの辺りと思っていた元山城屋横のレンタカー屋さんやマンションの周りを探してみたものの見つからなかったのを、先日調べものをしていた際に、『門司百年』に載っていた古地図を見ていたところ、西部本社はどうやら現在の掖済会病院の新館のある場所らしいことがわかった。行ってみると、病院の税務署側の植え込みにポツンとあるのを見つけた。もう少し大きいかなぁと思ってたんですが、意外に小さいですねぇ。
「毎日新聞西部本社発祥之地」碑

海峡プラザでトイレを済ませ、シンポジウムが開かれる港ハウスへ向かう。
2階に上ると、門司港コミュのお馴染みの方々の顔が見えたが、ネクタイにスーツ姿になんか新鮮味を感じますね(^^;)。資料や出来上がったばかりの「私の門司港自慢カレンダー」をもらって会場に入る。14時になりシンポジウムが始まる。会場内の座席は7〜8割程度が埋まっている。
第2回門司港まちづくりシンポジウム

今回のシンポジウムの内容はどこかで詳しい報告があると思いますので、個人的に印象に残ったことを書きます。柏原さん(ここではハンドル名はやめておきますね)の門司港に対する熱い思いの伝わる話(時に内輪に大うけだったりしましたが(笑))や市原さん(ここも同じくご本名で紹介しておきます)の小樽や長浜のまちづくりの事例報告は大変興味深い内容でした。その後の討論会自体は・・・うーん、なかなか難しいですねぇ。今回の「共に歩む観光地と住民生活」というテーマからすると、全体的にちょっと論点がずれていた感じでした。
  • 意外に、と言うかやっぱり「行政」の力を頼りにしようという意識が住民側に根強いのかなぁという印象が強かったです。確かに行政や政治家に対するアプローチも必要な場合もあるでしょうが、それが最終的な目的のような感じの発言が目立っていたように思います。分かっていたとはいえ、そういう意識を実際に変えていくのは大変なことですね。行政や政治家には法的な解決が必要な時に動いてもらい、最後の太鼓判を押してもらう存在というのが理想的かなぁ。

  • 先日放送された「ガイアの夜明け」でJR北海道が開発しているDMV(デュアル・モード・ビークルの略で、線路でも道路でも走行可能な乗り物)を紹介していたのを見ていたものと思いますが、ある方が廃止になった引込み線に同じような乗り物を走らせ、和布刈公園などを回るようなのがいいんではないか、という話がありました。確かにトロッコ列車よりも話題にはなるかなぁ。だいぶ高そうだし、メンテもかかりそうだけど。

  • 門司港には「良い」古材が多く残っているらしい。どういうものが「良い」ものなのか、その辺りの知識のない私には分からないのですが、メタファーとして結構気になる話でした。地元にある「良いもの」を見つけ出すこと、そしてそれを正当に評価すること。なんか刺激を受けますねぇ。

  • 今回の討論のテーマには直接関係なく、「門司港」とはどの地域を示すのかという話が出ましたが、実はかなり前から門司に住んでる人が、どのように思っているのかに興味がありました(実際は「携帯版@門司」のエリア別案内のインデックスを作る時に「大里」って、どの地域まで含むんでるんだろうと思ったのが最初でした。結局は「門司タウンガイド」を参考に、二タ松町と葛葉を境にしましたけど)。歴史的に考えると(1)楠原村だったところ、(2)市制を施行した当時の門司市の範囲とかあると思いますが、私の個人的な感覚としては片上の踏切が境かなぁと漠然と思っていたんですが、やはり同じように考える方もおり、また片上沖にあるブイを境に考えるという話をされた方もいらっしゃって、ホントに個人的には面白い話が聞けたと思います。
討論会の盛り上がりは今ひとつでしたけど、次回はもっと良いものになる気がします。兎にも角にも、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。
シンポジウム終了後、カレンダーを5枚購入(会場内では特別価格100円で販売していましたが、今後はバナナ伝説で1枚200円で買えるそうです)。そのまま門司港駅に向かい、小倉の叔母を訪ねる。叔父が一昨年亡くなり、いろいろな事情があり、長く住み慣れた小倉の街から来月長女の住む千葉の方へ引っ越すことになったのですが、叔母夫婦には学生時代にちょっと迷惑をかけてしまったこともあり、もうなかなか会えなくなるので、折角ここまで来ているので顔だけでも見ておこうと思い、内緒で訪ねました。叔母は在宅中で、ちょっとのつもりが結局1時間半も居てしまいました(^^;)。叔父の存命中は夫婦でよく門司港に行っていたことを以前聞いていたので、今日買った門司港カレンダーを渡しました。二日市に帰ってから、叔母に電話した母親から叔母がカレンダーを大変喜んでくれたことを聞き、ホッとしました。
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2007年01月16日

第ニ回「門司港まちづくりシンポジウム」開催

昨年10月の第一回に続き、今週末第二回の門司港まちづくりシンポジウムが開催されます。
                  平成19年1月10日
 各 位

                  門司港街づくりシンポジウム実行委員会
                  門司港コミュニティ 代表 秋武政道


『門司港まちづくりシンポジウム(第2回)』企画

 時下、皆様におかれましてはますますご清栄の事と存じます。
 平素より、私ども門司港街づくり住民グループ『門司港コミュニティ』の活動に対し深いご理解と多大なるご協力を頂き、誠にありがとうございます。
 私たちは今後の門司港のあり方を見据える中で、これからの門司港と歩みを共にしていく地域の住民の皆さんの意見を門司港の街づくりに反映し、よりよい門司港を築いていくため、様々なアイディアや知恵が交わされるきっかけとしてのシンポジウムを開催しようと考えました。
 以下の通り『門司港街づくりシンポジウム(第2回)』を開催いたしますので、皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。



 事業名:第2回門司港まちづくりシンポジウム
     テーマ:共に歩む観光地と住民生活
 主 催:門司港街づくりシンポジウム実行委員会
     (門司港コミュニティ・NPO法人北九州COSMOSクラブ)
 共 催:門司港レトロ倶楽部
 日 時:2007年1月20日(土)14:00〜16:00
 場 所:港ハウス 2Fホール
 参加費:無料
 内 容:1部 テーマトーク 14:10〜14:40
         1.「門司港のまちづくりの流れ」 
             高橋 泰雄氏(門司まちづくり21世紀の会)
         2.「一住民から見た門司港への想い」
             柏原 進氏(門司港コミュニティ)
         3.「事例研究〜その後の小樽、黒壁」
             市原 猛氏(NPO法人北九州COSMOSクラブ)
     2部 住民討論 14:50〜16:00
        テーマ『ヤラセ、サクラ一切なし!門司港流タウンミーティング』
           コーディネーター:隅田衡輝氏、壱岐尾恵美氏
 
 後 援:北九州市・北九州青年みらい塾・未来工房下関塾・
     九州伝承遺産ネットワーク・九州産業考古学会・NPO法人門司赤煉瓦倶楽部
 備 考:引き続き以下のシンポジウムなどを予定しています。
      第3幕 フィールドワーク『るるぶ(見る・触る・学ぶ)』
      第4幕 門司港のまつり・イベント大解剖
以上

金曜日にならないとはっきりとは分からないのですが、今回は土曜日なので、一応参加する予定にしています。一回でも覘いてみないとね。(私のように)門司港に住んでいない人でも、門司港が好きな方や<まちづくり>に興味のある方は参加してみてはいかがでしょうか。
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2007年01月14日

好評『北九州の近代化遺産』、「携帯版@門司」の作成動機

以前ここにも感想を書いた『北九州の近代化遺産』について、今朝の西日本新聞の「読書館」に編集者代表の清水憲一氏のインタビューが載ってましたが、関門通信にも編集者のひとりである庵田さんのインタビューが掲載されています。

北九州の近代化遺産 編集者・庵田氏に聞く - 関門通信

本はかなり売れているようで、いくつかの内容を修正・改訂した第2刷も1月末には店頭に並ぶとのこと。庵田さんはインタビューの中で
一番大切なことは、私たちひとりひとりが自分の住む地域に興味をもち、良いところは紹介する姿勢ではないでしょうか。見知らぬ土地に来て、タクシーに乗って「この街の見どころは?」と聞かれたときに、「うちには何もないです」では、観光も何もあった話ではないですよね。
今回の出版企画には、こういった姿勢を少しでも変えることが出来れば、という思いも込められています。
とおっしゃっています。このあたりは4年前に「携帯版@門司」を開設した動機と若干似ていて、某個人サイトの掲示板(掲載先は既に削除されています)に
私自身が地元のことを知らなかったことから、いろいろ調べてみようと思ったのが最初の動機で、調べたことを電子化して残しておこうと思ったのが第2の動機、これは多分私と同じように地元のことを知らない人は多いのではないか、だったら自分の調べたことを他の人にも<お裾分け>しようと思いwebサイトにしたというのが第3の動機で、どちらかと言うと、地元の人たちに見てもらいたい、という気持ちで作っています。
と書いたことがあります。自分が住んでいる街の魅力は色々あると思いますが、その魅力を住んでいる人に一番わかってもらいたいという気持ちは、地域情報関連のサイトを開設をしている人達も多分同じでしょう。庵田さんのように徹底はしていませんが、自分の出来る範囲で、これからも調べたことを「携帯版@門司」(以前「百科事典化」と書きましたが、携帯版という性質上「『赤尾の豆単』化」という方が適切でしょうね)でドンドン出していきたいと思っています。
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2007年01月13日

藤松小学校が出来る前後の話

mixiのコミュニティ「北九州市立藤松小学校」に昨年の6月28日に投稿した内容をこちらにも掲載します。私が藤松小学校の第1回の卒業生で、コミュの中では最年長のようだったので、自分が覚えている限りのことを書きました。
私が一番年長のようですので、もう30年以上も前なので、幾分記憶が曖昧ですが、藤松小が出来る前後の話を少し書きます。もし間違いがあればご指摘ください。
藤松小学校校舎
藤松小が出来たのは、私が6年生になる時で、それまでは西門司小に通ってました。小学2年生の時に藤松公団の近くから藤松2丁目に引っ越してから、稲積川沿いの道をメインの通学路にして西門司小まで往復していました。今藤松小が建っている場所は、その当時はほとんど原っぱで、夏から秋にかけてはトノサマバッタやショウリョウバッタが多く、溝にはアカハラやミミズがたくさんいました。正門前の道はまだ舗装されておらず、しばらくジャリ道でしたが、通学でその道を通ることが多くなりました。もしかすると記憶違いかもしれませんが、その道からは、まだ工事中だった関門橋が見えていて、家庭訪問のために一緒に歩いていた担任のH先生に、ここから関門橋が見えることを説明した覚えがあります。今では家も建ってるので、多分関門橋は見えないんでしょうね。小学3年か4年の頃に土地の造成が始まったと思います。今度は土だらけの場所になりましたが、そこに僕らが「三角池」と呼んでいた大きな水たまりがありました。その池には、藤松では珍しかったギンヤンマが多く飛び交っていて、それを捕まえようと虫網を振り回してもなかなか捕まらず、やっと捕まえたと思ったら、網の枠に当たったんでしょうか、首がもげていたりして、結局1匹もまともに捕まえられなかった思い出があります。そこに小学校が出来ることを知ったのが何時だったかは記憶がないのですが、西門司に残る友達とは別れてしまうのが何か嫌だったことは覚えています。西門司小の校長だった住田校長先生が異動して藤松小の初代校長でした。で、確か藤松小の1学期の始業式の前だったか、パイプ椅子を生徒達で西門司小から藤松小まで運んだ記憶があるんですが、ちょっと曖昧な記憶です。やはり新しい校舎に入るのは嬉しいものでしたが、西門司に比べて校舎も運動場も狭いなぁって印象が強かったです。1学年3クラスというのも少ないなぁと思いました。廊下がやわらかい材質のもの(なんというものか分かりませんが)で出来ていて、水で大変滑りやすく、掃除の後は結構注意しながら歩いてました。今はどうなってるんでしょうかね。それ以外に印象が強かったのは、給食用のエレベーターが付いていたことで、西門司小の時は裏門の近くに調理場があり、重たいおかずのバケツを運んで階段を上らないといけなかったのが苦痛だったので、これは嬉しかったですね。断片的な思い出としては、運動場にトラックに沿って芝生を植えたんですが、ほとんど育たなかったような・・・。こんなとこですかね。
mixiでは書きませんでしたが、6年生の修学旅行は1泊2日で熊本から阿蘇を経由して大分・別府を巡りましたが、同日に西門司小は大分側から回ってきて、泊まったホテル(阿蘇だったか九重だったか忘れました)が一緒になったように記憶しています。
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2007年01月11日

続けて『関門経済史第1輯』が到着

予想通り今日の昼間に届いたようです。こちらは昭和27年発行で、内容的には港湾関係(貿易や運送)や水産業など、海に関した記述が主です。それにしても、本の状態があまりよろしくなく、紙が全体的に茶色っぽくなってます。
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2007年01月10日

『関門経済史第2輯』到着

佐藤書店から本日届きました。『関門経済史』は第1〜3輯まであり、以前に福岡市総合図書館で見つけて、欲しいなぁと思っていたのですが、その他の本を買うために後回しになっていました。昭和29年門司市役所経済部産業課の発行で、近代門司の形成と関門港の発展、門司の農水産業、商業、金融、工業の発展過程と(諸問題を含む)現状が述べられていますが、第五章「門司市の都市社会学的考察」が面白そうです。第2輯を注文した同日に第1輯も今井書店に注文しているのですが、多分明日には到着するでしょう。第3輯は、お金に余裕があるときに購入したいなぁと思っています。
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2007年01月03日

初詣、消えていくもの、門司港コミュの新年会

門司港コミュの新年会に参加するため、今年は早々の門司訪問になりました。新年会は【15時からゆるゆると】始めるということだったので、ゆっくり目に二日市を出発、正午少し過ぎに門司駅に到着。駅前の長安で中華丼を食した後、戸上神社に参拝する。3日目でもまだ参拝者が結構多く、露店もいくつか出ていた。
戸上神社の初詣風景

戸上神社の初詣での楽しみと言えば、昔から亀くじで決まりですね。亀の模様の入ったくじには番号が付いており、下3桁が合えば最高1万円が当たるのですが、今年もやはり駄目でした。肝心の運勢は半吉・・・まあまあってとこですかね。
歩いて県道71号線を進み、戸ノ上中学の横から都市高速沿いの道を通り、途中坂を少し上ると大山祇神社の参道になる。戸上神社の参道の上に都市高速が通っている無粋さを見た後だからという訳ではないが、ここの参道から見る鳥居の姿はいつ見ても良いなぁと感じる。
大山祇神社

久々に参拝したが、いつもの様に・・・と言うのは失礼かな(^^;)、境内には参拝客がまったくおらず静かだった。昨日までけーばらさんが待機されていたという話だったので、もしかすると今日も?とか思いましたが、やはりいらっしゃらないようでした。ここの境内から見る大里の町・・・というか住宅街の広がった景色も好きなんですよねぇ。
県道262号線から大川沿いの細い道を通り、大里東口へ出る。そのまま踏切を渡り、こちらも久しぶりの八坂神社に参る。展示してあった機関車が無くなってから多分初めて来たと思いますが、やはり若干境内が広くなった感じがする。今回は庚申塔をひとつずつ撮影してみる(今日はCOOL PIX L6のみを携帯)。
八坂神社の庚申塔

左から二番目の石碑の側面に、何か文字が刻まれているのが分かったが、「下」「ニ」等の字以外はよく分からない。一番右にある無刻の碑の裏側に「昭和三十五年十月■日 古河電気工業株式会社」とあるが、これはどういうことなんですかねぇ。八坂神社にある庚申塔は大里各所にあったものを集めたものだそうなので、会社の敷地にあったものかもしれない。
その後仏願寺の門前から海側へ真っ直ぐ伸びた道を通り199号線に出た時、ラ・メール(とみやま経営のレストランで、門司に住んでいた頃は法事などによく使っていました)の横に石碑があるのに気付いた。実は前回の門司訪問で、堤防の突端にあったはずの「明治天皇紀念之松」の碑が無いことに気付いていたのですが、自宅に帰ってから何故か「もしかすると見間違いだったかも」と急に自信が無くなったので、ブログには書かずにいたんですが、もしかすると・・・と思い近づいてみると、思った通り「明治天皇紀念之松」の碑でした。
移動した「明治天皇紀念之松」碑

移動したのはごく最近と思われるが、近づきにくかった堤防の突端から、ここに移されたことで、世話人の名前や、裏にある「福島陸軍大将之書」(ググってみると福島安正という陸軍大将らしい)を確認出来た。
大里バス停から門司港行きのバスに乗る。そのまま桟橋通りまで乗るつもりだったが、途中区役所に足場が組まれていたのを見つけたので急いで下車する。
区役所は外装工事

昨年9月に近くで見た時に、かなり外壁が傷んでたのが気になってたんですよねぇ。どうせなら建設当時のように、建物のトップをタイルにして欲しいですね。ペンキでコントラストつけても、カッコ悪いでしょ、あれは。
歩いて三宜楼の方へ。向かいの家が取り壊されて整地されている話は聞いていたが、実際見るとなんとも言えないですね・・・。
下が2005年春に写した三宜楼前の路地。
2005年当時の三宜楼前

それでこちらが現在の同じ場所。狭い路地の、あの懐かしい雰囲気が消えてしまってホントに残念です。
現在の三宜楼前

次は年末に解体を知った、門司労災病院裏の三井倉庫の跡を見に行く。在りし日(2004年春)の倉庫の姿は・・・
2004年当時の三井倉庫

ここも完全に更地になっていました。
現在の三井倉庫跡

携帯版@門司」にはかつて存在した建物などを掲載するコーナーを設けてますが、そこで紹介するものがあまり増えて欲しくないなぁと思ってるんですが・・・。ここには何が出来るんですかね?
そうこうするうちに、16時近くになっていたので、東本町を経由して、新年会が開かれる栄町のバナナ伝説(通称バナナ小屋)に向かう。
噂の「バナナ伝説」

バナナ小屋のシャッターをくぐると、mkさんとこうじさんとゆらりさんの3人がおられ、これから始まるってところでした。昨年の12/15に開店したばかりの店内は内装もまだまだで、シャッターを閉じていたこともありますが、どこか怪しい雰囲気が漂ってました・・・(笑)。でも、なんか秘密基地っぽくて楽しいですなぁ。16時頃からボチボチやり始めると、その後参加者が増えたり減ったり、会場も1階から2階へ移ったり。会費を払う際に大きい札しか持っていなかったので、お金を崩すために、ここへ来る前に立ち寄っていた宗文堂に行き、チェックしていた「関門焦土の記憶」と「関門鯨産業文化史」を購入する。これらの本の感想はまた後日記します。
mkさんから珍しいコピーを見せてもらったり、秋武さんの興味深い話が聞けたり、楽しい時間が過ごせました。新年会の様子は、こうじさんのネットラジオに詳しいので、ここでは割愛させていただきますが、私自身は発泡酒6缶くらい飲んでしまったので、後半は庵田さんと喋ってた記憶しかありません(^^;)。ホントに魅力的な人ばかりです、門司港コミュのメンバー。今年はもうちょっとコミュに協力したいですね。
「それとなく」庵田さんに急かされ(急かされていたのは全く気づきませんでしたが(^^;)、発車時刻ギリギリに乗車したところをみると、急かされて正解だったようです(笑))、22時01分門司港発の列車に乗り、途中赤間駅で車掌に起こされ、久留米行きの快速に乗り換える。古賀駅あたりで気持ち悪くなったのまでは憶えているのですが、気が付くと、けやき台駅(^^;)。急いで反対側のホームへ行き、最終の上り列車に乗り、今度は無事二日市駅に到着。久留米まで行かずに済んで良かった〜。
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