で、とりあえず門司港へ行き、郵便局で三宜楼保存の寄付を振り込んだ後、先日「北九州バナナ」で紹介されていた「陽のあたる場所」で鉄板焼きカレードリア(1,050円)を食す。ビルの7階にあるので、大変景色が良く、店内もなかなか感じ良い。人気の鉄板焼きカレードリアは、さすがにコクがあって味が良い。

チーズも存在感がありますね。鉄板で出されるので、最後までアツアツで食べることができるのもポイントが高いです。ただ、やはりどこでも同じですが、男性には量が少ないですねぇ。それとかけているカレーがちょっと少なめかな。個人的な好みとしては、もう少しドバッとかかっていた方がいいんですけど。
門司港駅からバスで大里まで出て、恒見行きのバスに乗り換え、東部農協前で降りて(ホントは恒見営業所で降りる方が近いが、乗ったバスが浦中経由だったので、遠回りになるのでここで降りる)、天疫神社に向かう。神社に着いてから、事前に連絡していたMさんを訪ねる。Mさんは北九州文化財を守る会の理事をされており、門司氏の墓の横にある説明文もMさんが書いたものだそうだ。二十六夜についての説明をお聞きしたほか、わからなかった歯無峠や森戸一族の墓の場所を教えていただいたり、森戸給は今でも続いているということを教えていただきました。本当にありがとうございました。Mさんからいただいた二十六夜についてのプリントによると、大旱魃に見舞われた1774(安永3)年、今の笠松の碑が建っている場所で十数日雨乞祈願をおこない、7月26日に雨が降ったことを神に感謝し、この地に五穀神社を建て、7月26日に花笠鉾(はなかさぼこ)を作り豊作を祈る祭りをおこなったことが始まりとされている。その後五穀神社が天疫神社に合祀された明治42年から4月26日におこなわれるようになり、今に至っている。紙と竹で出来た花笠鉾は約2mの高さがあり、たいへん色鮮やかなものである。これが天疫神社から下吉志の海岸を経由し五穀神社のあった笠松まで練り歩く。最盛期には6本もあった花笠鉾も、後継者不足もあり今は2本だけになっており、Mさんの話では存続は大変難しいということだった。

13時から宮司二人が神社横の山に安置した御神体を降ろし、神輿に乗せるところから始まり、太鼓を鳴らしながら吉志の住宅街を練り歩く。「練り歩く」とは言っても、2本の花笠鉾も神輿も小さなリヤカーに乗せられており、引き手は年輩の方しかいないとはいえ、1台4、5人で引いているので、結構なスピードで進んで行く。

途中道の両側の民家からお賽銭をもらったり、旅館や地元の会社の玄関先でお払いをし、祝詞をあげていく。途中から近所の幼稚園の園児達が参加し、花笠鉾と神輿を引く。26日が休みの日以外は小学生は引くことはないらしい。このあたり、伝統行事を存続させるためにも、地元の校区はもっと理解し協力しても良いと思うのだが。

途中でポツポツとは降ってはいたものの、なんとか持ちこたえていた空が次第に怪しくなり、まだ立ち寄り先はあるそうだが、花笠鉾を濡らさないために、先に笠松で祝詞を上げることになり(以降の立ち寄り先には、雨に濡れても問題ない神輿だけで行くことになったらしい)、花笠鉾1本と神輿のみが笠松に向かった。ここで祝詞をあげて、神事は一応終了し解散となった。

Mさんから笠松と碑についての話を伺う。話には聞いていたが、やはり場所のわからなかった貴船原(戦国時代に毛利軍と大友軍が合戦をおこなった場所)で亡くなった兵士と馬を弔った墓が、ここのすぐ裏ということを知った。雨が本格的に降り出しそうな様子だったので、寄ることは止めたが、今日場所を知ったその他の史跡を含め次の機会に訪ねたいと思います。天疫神社方向へ歩いて行く途中でMさんと別れ、恒見のバス営業所に向かう。すぐにでも雨が降りそうな感じだったので、この後再び門司港へ行くつもりだったが、それを止めて門司駅へ行き、電車で帰ることにした。バスに乗ってから玉泉寺のあたりで雨が本格的に降り始めた。




